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熊本地方裁判所 昭和53年(行ウ)15号 判決

亡荒木松男訴訟承継人

原告

荒木マキ

原告

渕上千代子

原告

山内正人

原告

御手洗鯛右

右原告四名訴訟代理人弁護士

山口紀洋

後藤孝典

藤沢抱一

助川裕

建部明

被告

熊本県知事細川護熙

被告

鹿児島県知事鎌田要人

右被告両名指定代理人

大藤敏

田中信義

中澤勇七

森脇勝

西修一郎

早田憲次

菅祝久

永杉眞澄

被告熊本県知事指定代理人

河野慶三

荒竜夫

村上公佑

末満達憲

福島俊満

長野潤一

吉富寛

國武慎一郎

田中力男

被告鹿児島県知事指定代理人

桑畑真二

本田正幸

西村良二

桑鶴浩二

主文

一  被告熊本県知事が、亡荒木松男に対し昭和四八年一二月一三日付、原告渕上千代子に対し昭和四九年四月三日付、亡山内愛子に対し昭和四九年二月八日付でした各水俣病認定申請棄却処分を取り消す。

二  被告鹿児島県知事が、原告御手洗鯛右に対し昭和四八年八月二九日付でした水俣病認定申請棄却処分を取り消す。

三  訴訟費用は、被告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文と同旨。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は、原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  本件各処分

(一) 荒木松男関係

荒木松男(以下「松男」という。)は、昭和四八年二月三日、被告熊本県知事に対し、公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法(以下「救済法」という。)三条一項に基づいて水俣病認定申請をしたが、被告熊本県知事は、昭和四八年一二月一三日付で右申請を棄却した。さらに、松男は、昭和四九年二月一一日、環境庁長官に対し、右処分の取消しを求めて行政不服審査請求の申立てをしたが、環境庁長官は、昭和五三年八月一〇日、右審査請求を棄却する旨の裁決をした。松男は、右処分の取消しを求めて本訴を提起したが、その後、昭和五四年一月八日死亡したので、相続により松男の一切の権利義務を承継した相続人の一人である松男の妻 原告荒木マキ(以下「原告荒木」という。)が本件の訴訟承継をした。

(二) 原告渕上千代子関係

原告渕上千代子(以下「原告渕上」という。)は、昭和四八年一月二九日、被告熊本県知事に対し、救済法三条一項に基づき水俣病認定申請をしたが、被告熊本県知事は、昭和四九年四月三日、右申請を棄却した。さらに、原告渕上は、昭和四九年六月三日、環境庁長官に対し、右処分の取消しを求めて行政不服審査請求の申立てをしたが、環境庁長官は、昭和五三年八月一〇日、右審査請求を棄却する旨の裁決をした。

(三) 山内愛子関係

山内愛子(以下「愛子」という。)は、昭和四八年二月一六日、被告熊本県知事に対し、救済法三条一項に基づき水俣病認定申請をしたが、被告熊本県知事は、昭和四九年二月八日右申請を棄却した。さらに、愛子は、昭和四九年三月五日、環境庁長官に対し、右処分の取消しを求めて行政不服審査請求の申立てをした。愛子は、右審査請求中の昭和五三年一月一六日死亡したので、相続により愛子の一切の権利義務を承継した相続人の一人である夫 原告山内正人(以下「原告山内」という。)が行政不服審査法三七条に基づき、昭和五三年二月一〇日、審査請求人の地位を承継し、環境庁長官に右承継の届出をしたところ、環境庁長官は、昭和五三年八月一〇日、右審査請求を棄却する旨の裁決をした。

(四) 原告御手洗鯛右関係

原告御手洗鯛右(以下「原告御手洗」という。)は、昭和四七年二月七日、被告鹿児島県知事に対し、救済法三条一項に基づき水俣病認定申請をしたが、被告鹿児島県知事は、昭和四八年八月二九日、右申請を棄却した。さらに、原告御手洗は、昭和四八年一〇月一九日、環境庁長官に対し、右処分の取消しを求めて行政不服審査請求の申立てをしたが、環境庁長官は、昭和五三年八月一〇日右審査請求を棄却する旨の裁決をした。

2  右各水俣病認定申請棄却処分(以下「本件処分」または「本件各処分」という。)の違法性

原告渕上、同御手洗及び松男、愛子は、いずれも不知火海の魚介類に蓄積された有機水銀を経口摂取することによつて健康被害を受けた者であり、被告らは、公害による健康被害の救済を図ることを目的とする救済法一条の趣旨に則り、同法三条に基づいて原告渕上、同御手洗、松男及び愛子の健康被害が、有機水銀の影響によるものである旨の認定を行うべきである。

しかるに被告らは、右四名の健康被害が経口摂取した有機水銀の影響であることを否定し、右四名の水俣病認定申請をいずれも棄却したものであつて、本件各処分は違法であつて取消しを免れない。

3  よつて、原告らは、本件各処分の取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)ないし(四)の事実は認める。

2  同2・3は争う。

三  被告らの主張

被告らは、本件処分の正当性について以下のとおり主張する。

1  救済法について

救済法は、昭和四二年法律第一三二号の公害対策基本法の精神に則り、事業活動その他の人の活動に伴い相当範囲にわたる著しい大気又は水質の汚濁による疾病に罹患している者が多数に及んでいる地域が存在している実情にかんがみ、その影響による疾病に罹患した者の健康被害の救済を図ることを目的として制定された法律であり、右地域がある場合当該地域及びその地域に係る疾病を指定し、その疾病に罹患している者の申請に基づき、都道府県知事等が公害被害者認定審査会の意見を聴して認定を行い、認定を受けた者に対しては、医療費、医療手当等の医療に関する給付を支給することを骨子とする法律であり、右趣旨及び目的を受け継いだ昭和四八年法律第一一一号の公害健康被害補償法(以下「補償法」という。)が、昭和四九年九月一日から施行されたことによつて救済法は廃止されたが、補償法附則一二条によつて救済法廃止前に救済法の認定申請をした者については、なお従前の例により認定することができることとなつており、認定を受けた者は、補償法による認定を受けた者とみなされる旨定められている。

そして、公害に係る健康の救済に関する特別措置法施行令一条により、昭和四四年一二月二七日、熊本県水俣市、鹿児島県出水市等の地域及びその地域に係る疾病としての水俣病の各指定がされた。

2  後天性水俣病(以下「水俣病」という。)について

(一) 水俣病は、チッソ水俣工場がアセトアルデヒド酢酸製造工程で生成されたメチル水銀化合物を含む工場廃水を長期にわたつてかつ多量に水俣湾及びその付近海域に排出した結果、魚介類が汚染され、魚介類の体内に濃縮したメチル水銀が蓄積し、さらに、地域住民が右魚介類を経口摂取することにより人体内にメチル水銀が蓄積して罹患する中毒性神経系疾患である。

(二) メチル水銀は、人体内において視中枢を中心とする大脳皮質(大脳後頭葉の鳥距野の萎縮)、小脳皮質(小脳顆粒細胞の脱落)、大脳側頭葉皮質の聴覚中枢及び末梢神経などの神経組織に障害を惹起し臨床的には多様な症候を発現させ、主たる症候は、四肢末端の感覚障害、運動失調、平衡機能障害及び両側性の求心性視野狭窄、眼球運動異常、構音障害、聴力障害、歩行障害などである。神経系の異常は、臨床的には感覚系、運動系、自律神経系の障害に区分され、メチル水銀中毒症の主要症候中感覚障害、視野狭窄、難聴は感覚系、構音障害、歩行障害、運動失調は運動系の各障害であり、自律神経系の障害は見られない。

(三) しかしながら、人体内に摂取、蓄積されたメチル水銀は、やがて分解、排出され、新たな摂取がなければ約七〇日間の経過で体内残存量は半分に減少し、人体内に摂取されるメチル水銀の量が増大すると分解、排出される量も増大し、日々一定量のメチル水銀を長期間連続摂取すると人体内のメチル水銀の蓄積量は増大していくが、ある期間経過すると摂取量と分解、排出量が平衡状態となり、以後メチル水銀の蓄積量は増大しないことが実証されている。そして、右蓄積量がある量を超えると神経細胞が死滅して再生されることなく各種の神経障害が生じてこれに対応する諸症候が発現し、右蓄積量が右の限度以内である場合には、神経障害を惹起しないことから、メチル水銀の毒性にも閾値が存在することが明らかである。なお、メチル水銀による水俣病の最低発症量は、体重五〇kgの人で体内の蓄積量が二〇ないし三〇mgであると考えられる。そして、メチル水銀の摂取量の多少、期間の長短によつて惹起される神経障害の度合は異なり、四肢末端の感覚障害、運動失調、両側性の求心性視野狭窄、構音障害及び聴力障害の五症候即ち典型的なハンター・ラッセル症候群が発現する典型例から、必ずしもハンター・ラッセル症候群が発現しない不全型例、非典型例があり、個々の症候は、メチル水銀中毒症に特有のものではない。

(四) メチル水銀中毒症である水俣病の症候は、四肢末端の感覚障害、運動失調、求心性視野狭窄、平衡機能障害、構音(言語)障害、聴力障害、歩行障害が主な症候として多く発現するが、他に口周囲、舌尖のしびれ(感覚障害)、筋力低下、振戦、眼球運動異常、味覚障害、精神症状、痙攣その他の不随意運動、筋強直などの症候を示すことがあり、通常初期には、四肢末端及び口周囲のしびれ感が生じて漸次拡大し、さらに、言語障害、歩行障害、求心性視野狭窄、難聴等が発現する。(1) 感覚障害 シビレとして自覚されることが多く、極めて出現頻度の高い症候であり、ほとんど全ての水俣病患者に初期症候として自覚される症候である。感覚障害があるかどうかは、通常、筆などによる触覚検査、針などを用いた痛覚検査などで医師が確認する。水俣病の典型例では、四肢末端に手袋・靴下状(globe and stocking状)の感覚異状がみられるが、口周囲の感覚鈍麻がみられる例もある。また、振動覚や関節位置覚が障害されることもある。しかしながら、他の疾患による感覚障害と鑑別できるような特徴はみられない。(2) 運動失調 感覚障害とともに出現頻度の高い症候である。その特徴は、小脳性運動失調であつて、運動時の円滑さの障害、運動の大きさの測定障害、交互変換反復動作の障害等の協調運動機能障害である。運動失調は、歩行、言語状態の仔細な観察によつて判断できることが多く、ディアドコキネーシス、指鼻試験、膝踵試験、脛叩き試験などにより確認する。(3) 視野狭窄 「視野」は眼球を動かさずに光を確認しうる広さの範囲である。水俣病における視野障害は、大脳後頭葉鳥距野の障害(神経細胞脱落)のために惹起されるものであつて、視野障害は視野周辺から始まり周辺ほど著しい感度低下を来たして傘型沈下を示す。水俣病における視野狭窄は、求心性かつ両側性であつて、左右差は、外側視標で一五度を越えることは稀である。求心性視野狭窄は水俣病における特異性の高い症候である。(4) 平衡機能障害 平衡機能は、視覚系、内耳前庭系及び内耳前庭系以外の諸知覚系を刺激受容器とし、眼運動系及び脊髄運動系(四肢の筋肉等)を効果器管として中枢にある総合系の小脳及び脳幹がこれらを制御している。水俣病における平衡機能障害は、小脳及び脳幹部の障害によつて惹起される症候である。なお、運動失調がある場合には、一般に平衡機能障害が認められることが多い。(5) 構音障害 水俣病における構音障害は、小脳性運動失調の一症候であり、緩徐な言語、爆発性言語、断綴性言語などが見られる。(6) 聴力障害 聴覚には振動音を伝達する系と振動音を電気信号に変換して神経に伝達する系とがあり、前者の障害を伝音性難聴、後者の障害を感音性難聴といい、感音性難聴は迷路(内耳)性難聴と後迷路性難聴に分別される。水俣病における聴力障害は、大脳側頭葉皮質の聴覚中枢の障害(大脳側頭葉横回の神経細胞脱落)によつて惹起される症候であり、後迷路性難聴である。これは聴覚疲労現象、語音聴力検査で確認する。(7) 歩行障害 水俣病における歩行障害は、小脳性運動失調の一症候である。

(五) 水俣病における右各症候は、単独では非特異性であり、四肢末端の感覚障害は、糖尿病、アルコール、ビタミン欠乏、栄養障害等による多発神経炎、脊髄及び末梢神経を侵す多くの疾患の症候としても見られるものであり、かつ、主観的要素の強い症候である。求心性視野狭窄は、視神経炎後の不完全視神経萎縮、色素性網膜炎、緑内障、心因性視野狭窄等によつても類似の症候が発現することがある。聴力障害は、中枢性以外の各種疾患による聴力障害によつても類似症候を呈することがある。

3  水俣病罹患の有無の判断について

そこで、前記各症候が水俣病に起因するか否かの判断は、他の症候との関係を考慮し、水俣病に関する高度の学識と豊富な経験に基づき総合的に検討する必要がある。

(一) 水俣病罹患の有無を判断するには、①汚染された魚介類の経口摂取により有機水銀(メチル水銀)が体内に蓄積された事実が存在するか否か ②有機水銀中毒症に起因するものと思われる症候を有し、その症候が他の原因によるものではないと考えられるか否かにある。

①の事実の有無については、本人又は家族などの周囲の人の魚介類摂取に係る供述や、居住歴、家族歴及び職業歴などから判断することができる。なお、汚染当時の人体内における有機水銀の濃度が判明すれば、有機水銀曝露の直接的指標となりうる。

②の事実の有無については、有機水銀中毒症の病理学的所見と臨床症状が一致するか否かによつて水俣病の症候か否かが判明するが、通例病理学的所見を得ることは不可能であるから、臨床症候と疫学条件によつてその症候が水俣病に起因するか否かを判断せざるをえない。そして、水俣病における症候は、単独では一般に非特異的であつて他の疾患によつても同一症候を発現することがありうるため、患者の発現する症候が、水俣病に起因するか否かの判定に当り、他の疾患よりも水俣病に起因するとするのが合理的な水俣病における各種症候の組合せを作り、右組合せに適合しない症候は、水俣病に起因するものとするには、合理的根拠が乏しいものとすべきである。しかしながら、多様な水俣病々像を考えたときに、すべての水俣病が症候の組合せに適合しているとはいえない例外の場合も考えられ、さらに、水俣病における症候に類似する症候を発現する他疾患が存在する場合もあり、患者に発現する症候が水俣病に起因するものであるか否かの判定は、高度の学識と豊富な経験に基づいて慎重に検討して判断すべきである。

(二) そこで、水俣病の判断については、昭和四六年八月七日付で環境庁事務次官通知により、水俣病における各症候の「いずれかの症状がある場合において、当該症状のすべてが明らかに他の原因によるものであると認められる場合には水俣病の範囲に含まないが、当該症状の発現または経過に関し、魚介類に蓄積された有機水銀の経口摂取の影響が認められる場合には、他の原因がある場合であつても、これを水俣病の範囲に含むものである」とし、さらに、認定申請者の示す症状の全部又は一部が「経口摂取した有機水銀の影響によるものであることを否定し得ない場合においては、(救済)法の趣旨に照らし、これを当該影響が認められる場合に含むものである」とその指針を示した。さらに、昭和五二年七月一日付で環境庁企画調整局環境保健部長通知により、認定業務促進に当たつての参考として、水俣病の判断条件を次のとおり示した。

「1 水俣病は、魚介類に蓄積された有機水銀を経口摂取することにより起こる神経系疾患であつて、次のような症候を呈するものであること。四肢末端の感覚障害に始まり、運動失調、平衡機能障害、求心性視野狭窄、歩行障害、構音障害、筋力低下、振戦、眼球運動異常、聴力障害などをきたすこと。また、味覚障害、臭覚異常、精神症状などをきたす例もあること。

これらの症候と水俣病との関連を検討するに当たつて考慮すべき事項は次のとおりであること。

(1) 水俣病にみられる症候の組合せの中に共通してみられる症候は、四肢末端ほど強い両側性感覚障害であり、特に口のまわりでも出現するものであること。

(2) (1)の感覚障害に合わせてよくみられる症候は、主として小脳性と考えられる運動失調であること。また、小脳・脳幹障害によると考えられる平衡機能障害も多くみられる症候であること。

(3) 両側性の求心性視野狭窄は、比較的重要な症候と考えられること。

(4) 歩行障害及び構音障害は、水俣病による場合には、小脳障害を示す他の症候を伴うものであること。

(5) 筋力低下、振戦、眼球の滑動性追従運動異常、中枢性聴力障害、精神症状などの症状は、(1)の症候及び(2)又は(3)の症候がみられる場合にはそれらの症候と合わせて考慮される症候であること。

2  1に掲げた症候は、それぞれ単独では一般に非特異的であると考えられるので、水俣病であることを判断するに当たつては、高度の学識と豊富な経験に基づき総合的に検討する必要があるが、次の(1)に掲げる曝露歴を有する者であつて、次の(2)に掲げる症候の組合せのあるものについては、通常、その者の症候は、水俣病の範囲に含めて考えられるものであること。

(1) 魚介類に蓄積された有機水銀に対する曝露歴

なお、認定申請者の有機水銀に対する曝露状況を判断するに当たつては、次のアからエまでの事項に留意すること。

ア 体内の有機水銀濃度(汚染当時の頭髪、血液、尿、臍帯などにおける濃度)

イ 有機水銀に汚染された魚介類の摂取状況(魚介類の種類、量、摂取時期など)

ウ 居住歴、家族歴及び職業歴

エ 発病の時期及び経過

(2) 次のいずれかに該当する症候の組合せ

ア 感覚障害があり、かつ、運動失調が認められること。

イ 感覚障害があり、運動失調が疑われ、かつ、平衡機能障害あるいは両側性の求心性視野狭窄が認められること。

ウ 感覚障害があり、両側性の求心性視野狭窄が認められ、かつ、中枢性障害を示す他の眼科又は耳鼻科の症状が認められること。

エ 感覚障害があり、運動失調が疑われ、かつ、その他の症候の組合せがあることから、有機水銀の影響によるものと判断される場合であること。

3  他疾患との鑑別を行うに当たつては、認定申請者に他疾患の症候のほかに水俣病にみられる症候の組合せが認められる場合は、水俣病と判断することが妥当であること。また、認定申請者の症候が他疾患によるものと医学的に判断される場合には、水俣病の範囲に含まないものであること。なお認定申請者の症候が他疾患の症候でもあり、また、水俣病にみられる症候の組合せとも一致する場合は、個々の事例について曝露状況などを慎重に検討のうえ判断すべきであること。」

なお、水俣病における症候と類似の症候を示す他疾患には、脳血管疾患、パーキンソン症候群、老年痴呆、進行性小脳変性症、頸椎症、糖尿病及び栄養障害などの代謝性疾患、老人性変化などがある。

4  水俣病の認定に関する処分手続について

(一) 水俣病の認定に関する処分は、救済法三条一項又は補償法四条二項により認定を受けようとする者の申請に基づき県公害被害者認定審査会又は県公害健康被害認定審査会(以下「審査会」という。)の意見を聴して行う。

(二) 熊本県においては、右申請書を受理した後、熊本県職員が、熊本県水俣病検診センター(昭和五一年五月一日以前は、国民健康保険水俣市立病院健康センター、以下「検診センター」という。)において、申請者の病歴、職歴、生活歴、魚介類の入手方法及び嗜好性、家族状況等の調査による疫学調査及び視力検査

ゴールドマン量的視野計による求心性視野狭窄及び沈下の有無の視野検査、視標追跡眼球運動検査、自記オージオメーター等による難聴の鑑別を行う純音及び語音聴力検査、眼振の異常により平衡機能障害を調べる視運動性眼振検査等の予備的検査をし、その後熊本県が委嘱した、神経内科、神経精神科、眼科、耳鼻咽喉科等の専門の医師が、感覚障害、小脳性運動失調、平衡機能障害、構音障害、振戦、痙攣、筋力低下、精神症状、視野狭窄及び沈下、眼球運動の異常、中枢性聴力障害等の有無、右症候が存在する場合に有機水銀の影響によるものであるか否か、右症候と他疾患との関連性等について申請者を検診し、申請者が死亡した場合は、遺族の意向により病理解剖検査を行い、右検査終了後、各科医師が検査資料に基づき審査資料を作成整理して熊本県に提出し、被告熊本県知事は、右資料を添えて審査会に諮問し、審査会の審査、答申を経て認定に関する処分を行つている。なお、鹿児島県においても同様手続によつて被告鹿児島県知事が認定に関する処分を行つている。

5  原告渕上、同御手洗、松男及び愛子の認定に関する処分

(一) 松男について

(1) 被告熊本県知事は、松男の認定申請書を昭和四八年二月三日受理し、所要の医学的検査(昭和四八年一〇月九日 眼科、同月一二日 内科、同年一一月一〇日 耳鼻咽喉科、同月一四日 神経精神科)及び疫学調査(昭和四八年九月二五日)を行い、昭和四八年一二月四日及び翌五日開催の第一九回審査会の審査・答申に基づいて検討した結果、松男の症候は、有機水銀の影響によるものとは認められなかつたので、昭和四八年一二月一三日付で右認定申請棄却処分をした。

(2) 右棄却処分の理由は以下の事由による。

Ⅰ 松男が申請時に提出した医師の診断書には「水俣病の疑い。」、「左右両側性に錐体路症状を認め、左側により著明である。全身性に知覚鈍麻を認め、左側により著明である。知覚障害は躯幹部に比して四肢末梢部により著明であり、末梢性知覚障害を合併している疑いがある。」旨の記載がある。

Ⅱ しかしながら、熊本県職員による疫学調査によれば、松男は、昭和三七、八年ごろから手が震えて字がうまく書けなくなり、そのころから右足を引きずつていたこと、昭和四七年一一月一四日急に左手足が動かなくなつたことが判明し、右病歴に医学的検査による症候を総合し、松男には、ア 右側顔面、右手の痛覚障害、右下肢の触痛覚障害、イ 右側上下肢の軽度脱力、ウ 右側軽度の共同運動障害、エ 右側深部反射亢進、オ 左手の触覚障害左下肢の触痛覚障害、カ 左側半身の中等度ないし高度の脱力、キ 左側高度の共同運動障害、ク 左側深部反射亢進、ケ 左足関節拘縮、コ 右眼の視野沈下(左眼は失明)、サ 右向きのみの眼球運動異常、シ 内耳性難聴の各症候が発現していることが判明した。右アないしエの各症候は、昭和三七、八年ごろ罹患した右側片麻痺に起因する後遺症であり、オないしケの各症候は、昭和四七年に罹患した左側片麻痺に起因する後遺症であつて水俣病に起因する症候とはいえない。左右片麻痺は、いずれも脳血管障害によることは明らかである。松男の感覚障害は、顔面右側痛覚障害、右手は痛覚障害、左手は触覚障害のみであり、下肢でも明らかな左右差が認められ、水俣病にみられる対称性の四肢末梢型のものとは明らかに異なつている。共同運動障害は、四肢の脱力によるものであつて運動失調ではない。右眼の視野沈下は白内障によるものと考えられ、視野狭窄は認められない。眼球運動は、右行きに階段状波形がみられるが左行きには認められない。これは、右大脳半球障害を示唆する所見であり、このように片側に限局した障害は、有機水銀中毒症によるものとは到底考えられない。内耳性難聴のみでは、水俣病と直ちに結びつかない。

(3) 以上の検診所見と魚喫食状況、居住歴、家族歴及び職業歴等の疫学的調査結果を総合すると、松男が水俣病に罹患していたという判断には達しなかつた。

(二) 原告渕上千代子について

(1) 被告熊本県知事は、原告渕上の認定申請書を昭和四八年一月二九日受理し、所要の医学的検査(昭和四八年一〇月三〇日 眼科、昭和四九年二月八日 内科、同月一〇日 レントゲン検査、同月二三日 耳鼻咽喉科、同年三月六日 神経精神科)及び疫学調査(昭和四八年八月三〇日)を行い、昭和四九年三月二八日及び翌二九日開催の第二一回審査会の審査・答申に基づき検討した結果、原告渕上の症候は、有機水銀の影響によるものとは認められなかつたので、昭和四九年四月三日付で認定申請棄却処分をした。

(2) 右棄却処分の理由は、以下の事由による。

Ⅰ 原告渕上が申請時に提出した医師の診断書には、「四肢の知覚障害、難聴、軽度失調、粗大力低下、知的機能障害、情意障害などを認め、水俣病の疑いがあることを認める。」旨の記載がある。

Ⅱ しかしながら、熊本県委嘱の専門の医師による医学的検査結果によれば、ア 神経内科学的には、触痛覚は部分的に不規則で少し過敏であつたり鈍麻であつたりして一定しないが全般的に見て正常と考えられ、振動覚がやや短縮しているものの、その他の運動機能は全く正常であつて運動失調は認められず、深部反射も正常である。イ 眼科学的には、視野狭窄は認められず、両側の視野沈下が認められるが、眼球運動は正常範囲である。ウ 耳鼻咽喉科学的にも異常所見は認められない。

(3) 以上の検診所見と魚喫食状況、居住歴、家族歴及び職業歴等の疫学的調査結果を総合すると、原告渕上が水俣病に罹患しているという判断には達しなかつた。

(三) 愛子について

(1) 被告熊本県知事は、愛子の認定申請書を昭和四八年二月一六日に受理し、所要の医学的検査(昭和四八年一二月一六日 内科、同月二二日 耳鼻咽喉科、昭和四九年一月八日 眼科)及び疫学調査(昭和四八年一二月二二日)を行い、昭和四九年二月一日及び翌二日開催の第二〇回審査会の審査・答申に基づき検討した結果、愛子の症候は、有機水銀の影響によるものとは認められなかつたので、昭和四九年二月八日付で認定申請棄却処分をした。

(2) 右棄却処分の理由は、以下の事由による。

Ⅰ 愛子が申請時に提出した医師の診断書には、「一、水俣病の疑 一、脳卒中後遺症」、「情意障害(自閉的、無口、無表情)、知能障害(「痛い」「痛くない」という問に対し、首を振つたり「アーアー」といつた発声で対応する。「口を開けて」とか、「手を動かして」といつた問には反応はするが、間違つた動作をすることが多い。)、右半身片麻痺、聴力障害(中枢性)、構音障害、知覚障害(右半身及び左足末梢部)を認め、視力検査は不能である。」旨の記載がある。

Ⅱ しかしながら、熊本県委嘱の専門の医師による医学的検査結果によれば、ア 神経内科学的には、昭和四二年一〇月一九日に発症した脳血管障害のため上下肢拘縮を伴う右側片麻痺、全失語、失認、尿失禁等があり、理解度が悪く検診が非常に困難であつた。感覚障害は、筋力低下を伴い右側半身に認められ、左手はディアドコキネーシス及び指鼻試験が可能である。左半身における共同運動障害は認められないので、運動失調があるものとはいえない。イ 眼科学的には両側の視野狭窄及び沈下が認められる。しかしながら愛子の反応は不明確で本人の理解度から考えて的確な検査ができたとは考え難い。なお、視野狭窄及び沈下は、網膜出血及び白内障が関与しているものと考えられる。ウ 耳鼻咽喉科学的には、難聴が一応認められる。しかしながら的確な検診はできなかつた。

(3) 以上の検診所見と魚喫食状況、居住歴、家族歴及び職業歴等の疫学的調査結果を総合判断すると、愛子が水俣病に罹患しているという判断には達しなかつた。

(四) 原告御手洗鯛右について

(1) 被告鹿児島県知事は、原告御手洗の認定申請書を昭和四七年二月七日に受理し、所要の医学的検査(昭和四八年一月一八日 耳鼻咽喉科、同月一九日 内科、同月二〇日 眼科)及び疫学調査(昭和四八年一月一八日)を行い、昭和四八年一月二六日及び翌二七日開催の第一四回審査会の審査の結果、答申保留となつたので、眼科の再検査(昭和四八年三月一四日)を行い、昭和四八年三月二九日及び翌三〇日開催の第一五回審査会の審査の結果、再度答申保留となつた。そこで、被告鹿児島県知事は、三たび医学的検査(昭和四八年五月二二日から同年七月一〇日まで内科、同年五月三〇日 耳鼻咽喉科、同年六月一九日 眼科)を行い、昭和四八年八月二四日及び翌二五日開催の第一七回審査会の審査・答申に基づいて検討した結果、原告御手洗の症候は、有機水銀の影響によるものとは認められなかつたので、昭和四八年八月二九日付で認定申請棄却処分をした。

(2) 右棄却処分の理由は以下の事由による。

Ⅰ 原告御手洗が提出した医師の診断書には、「左前胸部、左上腕知覚異常」、「元来患者は両下肢弛緩性麻痺(両麻痺性内反足)、右尺骨神経不全麻痺で昭和三七年ごろ、左右足関節固定、同部位腱移植術を受けたが、その頃より左上腕にしびれ感が発現し、その後しびれ感の範囲が拡大して、現在左前胸部、左上腕、左背部のしびれ、筋弛緩、筋萎縮があり、左肩関節機能障害あり。」との記載がある。

Ⅱ しかしながら、鹿児島県の委嘱による専門の医師の医学的検査の結果によれば、ア 神経内科学的には、二度の検査を通じて左半身及び右上下肢末梢の不定型の感覚障害が認められるほか、下肢末梢部、上肢肩胛部に脱力、筋萎縮、各所の筋に筋電図で神経原性異常所見が認められる。右感覚障害は、部位が短期間に移動し、分布にも左右差があり、水俣病における四肢末梢型の感覚障害とは異なつており、共同運動障害も認められない。その他の右各症候は、肩胛腓腹筋型筋萎縮の症候に一致し、右萎縮は有機水銀中毒症の症候ではない。イ 眼科学的には、三度の検診を通じ両側の視野狭窄が認められる。しかしながら、右視野狭窄は、二才当時に罹患したポリオ脳炎(急性灰白髄炎)或いは昭和四一年に発生した意識障害発作に起因する可能性が大きい。ウ 耳鼻咽喉科学的には、二度の検査を通じ軽度の聴力障害(内耳性難聴)が認められる。

(3) 以上の検診所見と魚喫食状況、居住歴、家族歴及び職業歴等の疫学的調査結果を総合判断すると、原告御手洗が水俣病に罹患しているという判断には達しなかつた。

6  以上のとおり、被告ら両県知事は、所要の疫学調査及び医学的検診を実施し、水俣病に関する医学についての高度の学識と豊富な経験を有する医師を委員とする審査会の意見を聴し、原告渕上、同御手洗、松男及び愛子の疾病は、水俣病ではないと判断し、原告らの認定申請を棄却したのであるから、本件処分は正当であつてなんらの違法はない。

よつて、本件処分の取消しを求める原告らの本訴請求は、いずれも棄却すべきである。

四  被告らの主張に対する認否及び反論

1  被告らの主張に対する認否

(一) 被告らの主張1の事実は認める。

(二) (1) 同2(一)の事実中水俣病がメチル水銀の経口摂取によつて罹患する中毒性神経系疾患のみであることは否認しその余は認める。

(2) 同2(二)の事実中メチル水銀が人体内において視中枢を中心とする大脳皮質(大脳後頭葉の鳥距野萎縮)、小脳皮質(小脳顆粒細胞の脱落)、大脳側頭葉皮質の聴覚中枢及び末梢神経などの神経組織に障害を惹起し臨床的に多様な症候を発現させる事実は認め、その余は争う。

(3) 同2(三)の事実中メチル水銀の摂取量の多少、期間の長短によつて惹起される神経障害の度合が異なり典型的なハンター・ラッセル症候群を呈する典型例、右典型例が発現しない不全型例、非典型例等があることは認め、その余は争う。

(4) 同2(四)の事実中水俣病が四肢末端の感覚障害、運動失調、求心性視野狭窄、平衡機能障害、構音(言語)障害、聴力障害、歩行障害、口周囲や舌尖等のしびれ感、筋力低下、振戦、眼球運動異常、味覚障害、精神症状、痙攣、その他の不随運動、筋強直などの諸症候を示すことは認め、その余は争う。

(5) 同2(五)の事実は争う。

(三) (1) 同3の冒頭の主張は争う。

(2) 同3(一)の事実中、汚染当時の人体内の有機水銀の濃度が判明すれば、有機水銀曝露の直接的指標となる事実は認め、その余は争う。

(3) 同3(二)の事実は認める。

(四) (1) 同4(一)の事実は認める。

(2) 同4(二)の事実中熊本県知事及び鹿児島県知事が、認定申請書を受理した後審査会の審査、答申を経て認定に関する処分をしている事実は認め、その余は争う。

(五) (1) 同5(一)ないし(四)の各(1)の事実は認める。

(2) 同5(一)ないし(四)の各(2)Ⅰの事実は認める。

(3)Ⅰ 同5(一)(2)Ⅱの事実中、松男には、右側顔面、右上肢の痛覚障害、右下肢の触痛覚障害、左上肢の触覚障害、左下肢の触痛覚障害の各感覚障害、右眼の視野沈下及び内耳性難聴が存在した事実、昭和四七年一一月に首から下部左側麻痺が発生した事実は認め、その余は争う。

Ⅱ 同5(二)(2)Ⅱの事実中、原告渕上には、両側性視野沈下が存在する事実は認め、その余は争う。

Ⅲ 同5(三)(2)Ⅱの事実中、愛子は、昭和四二年一〇月一九日に脳卒中発作に襲われて右半身麻痺の障害が発生し、さらに、愛子には、両側性視野狭窄及び沈下並びに難聴が存在した事実は認め、その余は争う。

Ⅳ 同5(四)(2)Ⅱの事実中、原告御手洗には、右上下肢の感覚障害、両側性視野狭窄及び内耳性難聴が存在した事実は認め、その余は争う。

(4) 同5(一)ないし(四)の各(3)は争う。

2  原告らの反論

(一) 救済法について

救済法は、事業活動等により各地に大気汚染、水質汚濁により広域にわたつて各種公害現象が頻発し、地域住民が深刻な健康被害にさらされるに及んで、昭和四二年七月二一日に公害対策基本法が制定され、これに基づき公害に係る被害に関する救済の円滑な実施を図るための制度を確立するのに必要な措置として、昭和四四年一二月一五日に制定された法律である。救済法は、公害によつて被つた農林漁業被害、精神的損害、健康被害等の各種被害中、とり敢えずさし迫つて救済を要する健康被害を被つた被害者の健康被害を迅速かつ確実に広汎な救済を図ることを目的としていることは、救済法制定の経緯及び救済法の趣旨及び目的に照らして明らかである。

しかるに、被告らは、救済法施行前及び施行後を通じ一貫して健康被害の救済を第一義とせず、右施行前においては、長年にわたつて水質汚濁を続けた企業であるチッソと癒着してチッソの民事責任に対する影響の有無のみを第一義とし、右施行後においては、補償との関連を第一義として被害の実態調査及び住民検診等を殊更怠り、健康被害を訴えて認定申請をする多数被害者に対し慎重審査に藉口して適切な対応策を講ずることもせず、かつまた、水俣病々像については、メチル水銀中毒症の一型態であるハンター・ラッセル症候群に執着して狭隘な病像論を樹立し、多種多様な症状を訴える水俣病患者に対し右病像を尺度として大多数を水俣病にあらずとして申請を棄却し、或いは保留扱いにして放置し、救済法の趣旨及び目的に違反して健康被害を被つた被害者の健康被害を迅速かつ確実に広汎な救済を図るための適切な措置を全く講ずることなく今日に至つている。被告らの救済法違反の右行政態度は、川本輝夫ら九名の行政不服審査請求に対する環境庁の昭和四六年八月七日付裁決及び同日付「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法の認定について」と題する環境庁事務次官通知(環企保第七号)においても救済法の趣旨及び目的に沿わないものと指摘され、さらに、浜本亨、柳田タマ子の行政不服審査請求に対する環境庁長官の昭和五〇年七月二四日付裁決によつて指摘されたが一向に改まらず、その後、認定申請者八木シヅ子ら六名の熊本地方裁判所昭和四九年(ヨ)第三一号 水俣病被害者補償金内払請求仮処分申請事件に対する昭和四九年六月二七日付同裁判所の仮処分決定が、右八木シヅ子らに対する被告熊本県知事の認定処分に先行して発せられた事実、認定申請棄却処分者一三名を含む原告一四名中一二名を水俣病と認定した熊本地方裁判所昭和四八年(ワ)第一五二号 第二次水俣病損害賠償請求事件に対する同裁判所の昭和五四年三月二八日の判決によつても、被告熊本県知事の右狭隘な水俣病々像論による水俣病患者の認定否定が批判され、さらに、これに続く昭和四九年一二月に四〇六名の認定申請者が、熊本県知事に対して提起した水俣病認定不作為の違法確認訴訟、昭和五三年一二月に認定申請者らが、熊本県知事に対して提起した認定手続に関する処分の著しい遅滞による精神的損害賠償請求訴訟等において、熊本県知事は次々と敗訴し、判決により被告熊本県知事の固着した右病像論による多数の水俣病患者の迅速かつ確実に広汎な救済を否定する救済法違反の事実を厳しく指弾された歴史的経過に照らしても明白である。

(二) 水俣病について

水俣病は、チッソ水俣工場が永年にわたりカーバイド、アセトアルデヒド酢酸等の製造工程においてセレン、マンガン、タリウム等を含む工場廃水のほか猛毒なメチル水銀等の水銀化合物を含む工場廃水を長期かつ多量に不知火海に排出し、有毒な右重金属類を摂取した魚介類をさらに経口摂取した不知火海沿岸住民の体内に右重金属類が蓄積され、右住民が右重金属類によつて罹患する健康被害であり、メチル水銀によつて発症する中枢性神経系疾患は、右健康被害の一部に過ぎない。

有機水銀等重金属が、海洋・底質を広範に汚染し、プランクトンから魚介類への食物連鎖を経て生体に濃縮した有機水銀等を、人が経口摂取するという曝露のメカニズムもその規模も公害及び医学史上他に類例をみないものである。従つて、チッソ水俣工場が、昭和七年の創業以来、なんらの規制を受けることもなく水俣湾など不知火海に昼夜を分たず、たれ流してきた有機水銀その他の産業廃棄物が、不知火海域の住民に与えた健康障害のすべてを、本来は、水俣病と定義すべきである。

ところで、一般に中毒症というものが全身に対する侵襲であることは中毒学の常識であり、事実、経口摂取された有機水銀(メチル水銀)が全身に高濃度に蓄積されることが確認されており、しかもその有機水銀の曝露の時間の長短や摂取量の多寡によつて生体内における有機水銀の蓄積部位を異にすることが白木博次氏のサルの実験によつて確認されている。そして、白川健一講師、原田正純助教授らも、全身病としての有機水銀中毒に対し「慢性水俣病」という概念によつて症例報告をしている。従つて、水俣病は「中枢性神経系疾患」に限局されるものではなく、白木氏の提唱する「全身病」とみるべきであつて、肝臓・腎臓などの臓器系の障害、動脈硬化や脳血管障害などの循環器系の障害等も考慮されなければならない。現在、患者最多発地帯では、住民の多くが肝臓の変調を訴えており、又、目眩、だるさ、頭痛、耳鳴り等の自覚症状の訴えも多く、これらの症状は、水俣病を全身病として捉えるべき必要性を示唆している。

さらに、中毒症は、一般に多様であり、医学的解明が十分とはいえない段階にある水俣病を特定のパターンに限局すべきではない。長期曝露による中毒は、経時的にみると急性、亜急性、慢性とそれぞれ独特の症例の展開をみせるのが通例である。従つて、水俣病は、全身性慢性疾患を含めて多様な病型を想定し、これに基づいて肌理細かく、被汚染者の疾病・症状を把握すべきである。水俣病患者の主要症状である神経症状に対応する愁訴には、物忘れが最も多く、他に手足のしびれ感、力がはいり難い、歩き難い、手足の震え、目が見え難い、体がだるい、頭痛、頭重、首、肩、へきの痛み、腰痛、眠れない、耳が聞こえ難い、言葉のもつれ、ひきつけ、カラス曲り、目眩、耳鳴り、関節の痛み、体全体のしびれ感、体全体の痛み、全身の痙攣、よだれ等の多くの症状がある。そうであるから、水俣病の症候は、ハンター・ラッセル症候群のみに限局されない。ハンター・ラッセル症候群は、一九三七年の英国の農薬工場における有機水銀の吸引及び経皮的摂取に由来する四人の急性中毒患者の症状である。ハンター・ラッセル症候群は、昭和三〇年代に熊本大学医学部研究班が、水俣病の原因物質・原因者を厳密に特定する必要上ハンターらの論文に言及・紹介したものであり、当時の水俣病患者の急性劇症型の症例判断と原因分析に果たした役割は、極めて貴重であるが、水俣病は、有機水銀等が生態系を経て、広域の人間により長期にわたつて経口摂取された結果罹患した中毒症であり、これと、工場内における少数者の直接摂取によるハンター・ラッセル報告例(感覚障害・運動失調・構音障害・視野狭窄・難聴)とでは、そもそも疾病の本質が根本的に異なるものである。水俣病は全身症状を発現する健康障害であつて、有機水銀による健康障害のみを取り上げて見ても、ハンター・ラッセル症候群を示す急性劇症型の典型例、慢性型の不全型例、非典型例等のピラミッド型の裾の広い諸症状を示し、有機水銀の曝露期間、量、被害者の素質等によつて多種多様な症状が発現し、発症について閾値はない。

(三) 水俣病罹患の有無の判断について

水俣病罹患の有無の判断は、水俣病々像がいまだ完全に解明されている段階ではなく、未解明の部分が多く残されているのであるから、ハンター・ラッセル症候群を主要症候とする二症候以上の症候が発現しているか否かといつた狭隘な病像論に固着するのは誤りであり、水俣病罹患の有無については、患者がチッソ水俣工場の排出した有機水銀等重金属類に曝露された事実があるか否かを医学的検査若しくはチッソ水俣工場の工場廃水によつて汚染された不知火海沿岸の居住歴、生活歴、家族歴、職業歴、同一地域における罹患状況等の疫学的調査によつて判断し、曝露の事実が存在すれば、患者の諸症状が明らかに他疾患によるものといえなければ、その症状はチッソ水俣工場が排出した有機水銀等重金属類によつて罹患した水俣病であると認定すべきである。前記のとおり水俣病は、未解明の公害病であり、その特殊性等から正確な最低摂取量を規定したり、最低摂食期間を決定することは現段階では不可能であり、曝露歴を最も重視すべきである。曝露の事実が存在したときは、次に、現に健康異常が発生しているか否かを判断することとなるが、右判断をする場合自覚的か他覚的か、重篤か軽度かによつて一切区別すべきではない。そして、健康異常が有機水銀等重金属類以外の原因のみによるものと明らかに認められる場合を除外し、そうでない場合は、有機水銀等重金属類の影響を否定できないものとして水俣病の認定をすべきである。

(四) 水俣病の認定手続に関する処分手続について

水俣病認定に関する手続は、前記(一)のとおり救済法の趣旨及び目的に沿つて迅速かつ確実に広汎な健康被害者の救済を図るよう運用すべきである。しかるに、被告らは、以下のとおり健康被害者の大多数を救済の門から締め出し、認定者を少人数に限局する違法不当な手続の運用をしている。即ち、先ず審査会は、認定申請書に添付された主治医の診断書は、一貫して無視若しくは軽視する態度を取り、熊本大学第二次研究班や熊本県の住民検診によつて水俣病の疑いが濃厚であるとされた者に対しても再検診を行つたり、右第二次研究班の右診断に反する答申をしてこれを受けた被告熊本県知事は、これらの者に対して棄却処分をした。審査会は、原告渕上、同御手洗、松男及び愛子に対しても、認定申請書に添付された主治医の診断と異なる所見をとりながら厳密な付合わせや比較さえ行うことなく主治医の右診断を黙視・否定した。審査会のこのような添付診断書の軽視若しくは無視の態度は、診断書の添付を義務づけている法の趣旨に著しく違背するものである。

次に、臨床検査に先立つて行われる疫学調査の結果が、認定審査の際殆んど有効に用いられておらず、単なる医学的診断のみによつて審査会の結論を得ているといつても過言ではない。この事は、原告渕上のように濃厚な汚染曝露を受けた者さえなんらの考慮もされていないことからも明らかである。次に、検診方法が極めて不適切である。検査項目は多数ありながら一回限りのものであり、しかも、被験者が検診センターに出向いて初対面の医師の検査を受けるだけである。的確な検診結果を得ようとするならば、本来、健康被害を訴える者の症状を正確に把握するため、健康被害者が日常生活においてどういう症状を示し、いかなる支障を来たしているかを健康被害者の日常生活の中で仔細に把えていく視点が必要不可欠である。症状をできる限り見落とさずに採取する検診方法による検診結果を得ずに杜撰な一回限りの検診結果を審査会資料とし申請者の健康被害の症状の有無を判断するなどもつてのほかである。さらに、被告らが、検診医の氏名を明らかにせず、検診録すら提出しないのでは、検診結果の信憑性も疑わしく資料としての価値はないに等しい。次に、審査会委員は、各科専門の臨床医及び病理医のみで構成されており、公衆衛生学者、法律家が委員に選任されたことはなく、前記杜撰な検診結果に基づき疫学的調査結果に顧慮することなく単に医学的判断をし、熊本県公害被害者認定審査会条例五条、鹿児島県公害被害者認定審査会条例四条四項に定める多数決による決議によらずに全員一致の決議によつて水俣病罹患の判定をし、全員一致の意見を見ない限り右判定を保留ないし水俣病罹患の判定をしないという審査会の審査決議の方法は、救済法のみならず右各条例に明らかに違反しており許さるべきものではない。そして、被告らは、審査会の右違法不当な審査決議に対しなんらの指導監督を行わずにこれを長年にわたつて容認し、しかも、被告らは、審査会の答申がどうであれ救済法の趣旨及び目的に沿い、他に類例を見ない広汎な公害による多数の健康被害者の迅速かつ確実な健康被害の救済のために、自己の裁量権限に基づいて認定申請に対する判断を早期にすべき義務があるにも拘らず、右義務を尽すことなく救済法の趣旨及び目的に違反し、審査会の答申のみに依拠して答申に沿う認定に関する処分をしているに過ぎず、被告らの水俣病の認定に関する処分態度は、最早救い難い状況にある。

(五) 原告渕上、同御手洗、松男及び愛子の水俣病罹患の事実について

原告渕上、同御手洗が水俣病に罹患しており、松男及び愛子が生前に水俣病に罹患していた事実は、以下のとおり明らかである。

(1) 松男について

Ⅰ メチル水銀曝露の疫学的因果関係の存在

イ 家族歴

松男は、父 茂八郎、母 シメとの間に、明治三八年四月一三日、熊本県天草郡富岡町で出生し、昭和二年、水俣市久木野出身のワカと婚姻し、二男二女が出生、昭和一五年妻 ワカが子宮癌で死亡したので、昭和一七年、原告荒木マキと再婚し、その間に三人の男子が出生した。母 シメは昭和二六年、父 茂八郎は昭和三二年に各死亡し、両名とも晩年は体が余り動かなくなり、その病因は分らなかつたが遺伝的疾患はなかつた。

ロ 職業歴

松男は、高等小学校卒業後、長崎で自転車屋の小僧や博多で菓子屋の見習いをし、大正一二年に水俣市丸島に移り住んだ後、チッソの水光社で、約半年、自転車の修理工をし、その後、菓子屋を経て、昭和二年、当時二二、三歳頃から鳶職、次いで、昭和二八年頃から建設会社の下請を始め、従業員二〇名位を使用して水俣市内のアパートや隣県の出水市内の小、中学校等の建設工事の請負業をする傍ら、昭和二九年頃から水俣市茂道の二女 幸子の夫 佐藤巽と共に昭和三一年までカシ網漁に従事、昭和三五年から昭和四五年までは、失業対策事業の日雇いとして稼働した。

ハ メチル水銀曝露歴

松男は、現在、水俣病患者最多発地域の漁村部落の一つである茂道の漁師 佐藤タケヤス(同人は妻と共に水俣病認定患者である。)から昭和二二年頃以降、さらに、同じ茂道の漁師 佐藤巽から昭和二四、五年以降昭和三五年頃まで水俣湾付近漁場で捕れたボラ、カレイ、コチ、クツゾコ、カニ、ナマコ、カキなどの魚介類を頻繁に貰つて毎日多食した。松男も水俣市牧の内の居住地近くの水俣川河口付近でアサリ、ビナなどを捕り多量に食べた。

ニ 親族、近隣者の水俣病罹患 松男の妻 原告荒木マキは水俣病の認定申請中であり、前記佐藤タケヤスと妻は共に水俣病認定患者である。佐藤巽と妻 幸子は水俣病の認定申請中であり、巽の兄 佐藤武春と妻は共に水俣病認定患者である。なお、茂道部落は、水俣で最もひどくメチル水銀による被害を受けた地域の一つであり、佐藤巽の近隣では、道沿い約一〇〇メートルに水俣病認定患者一六名が存在しているほどである。

Ⅱ 健康障害の存在

イ 発病及び自覚症状

松男は、昭和三二、三年頃から身体が不調になり、歩き難かつたり、躓き易かつたり、鳶の仕事をしていて高所に登れない、手足が思うようにならない、身体全体がだらけたようで頑張りがきかない等の症状を訴えるようになり、一〇できた仕事が六位しかできないようになつた。松男には、その頃から手足のひきつりや、カラス曲りも出現し、昭和三七、八年頃からは手が震えて字が書けなくなり、右足を引きずるようになつた。さらに、松男は、昭和四七年一一月一四日、左半身に麻痺が生じ言葉も一段と分り難くなつて寝たきりとなつたが、昭和五〇年頃から少し歩けるようになつた。当時、松男の自覚症状は、(イ) 頭部の左右両側(従前は頭部右側のみであつた。)、口周囲、身体の首から下の左右両側(特に左側)と四肢末端に強いしびれ感、(ロ) 左右両上肢及び下肢(特に左側)が思うように動かない、(ハ) 手足の震え、(ニ) カラス曲り、(ホ) 目のかすみ、(ヘ) 臭いが全く分らない、味も殆ど分らない、(ト)言葉がしやべり難い、(チ) 首が重い、(リ) 手に力が入らない等であり、死亡直前には、全身的な衰えが目立つて歩行不能となり、昭和五四年一月八日、心臓麻痺を起して死亡した。

ロ 臨床所見(他覚的所見)

(イ) 感覚障害 感覚障害については、認定申請書添付の昭和四八年一月一九日付石津棟暎医師の診断書(以下「石津診断」という。)、昭和四八年一〇月九日から同年一一月一四日における審査会資料(以下「松男の審査会資料」という。)、行政不服審査請求書添付の昭和四九年二月九日付原田正純医師の診断書(以下「原田診断」という。)、審査庁が昭和五〇年一〇月二九日にした現地審尋における原田医師の所見(以下「現地審尋」という。)のうち、石津診断、松男の審査会資料及び原田診断は、松男の上下肢の感覚障害を認めている。即ち、松男の感覚障害は、石津診断が両側上下肢、松男の審査会資料が両側上下肢と顔面右半部、原田診断が右側上下肢と顔面右半部及び身体の首から下部左側全体としており、時間的経緯で右障害を考察すると、先ず四肢末梢型の感覚障害が発生し、次に、右側頭部脳(延髄)血管系障害が発生しこれに基づくものと思われる首から下部左半身性の障害(延髄を発した神経は、首から下で左右に交叉しているので、頭部と反対側に障害が発生する。)が次第に拡大していることが明らかであり、これを図示すると次のとおりである。〈編注・左図参照〉

右二系統の原因に基づく感覚障害の合併した感覚障害が発現していると見るのが医学的判断として合理的である。松男の四肢末梢型の感覚障害は、メチル水銀曝露による水俣病の重要な他覚的所見である。さらに、現地審尋では、松男に口周囲の感覚障害のあることが述べられており、右感覚障害も水俣病の看過しえない他覚的所見の一つである。

(ロ) 運動失調 石津診断は左右両側性(左側により著明)の錐体路症状の存在することを認め、松男の審査会資料は、アジアードコキネージス中等度、指鼻試験、膝踵試験、脛叩き試験各陽性、左不能とあり、原田診断では、膝踵試験、指鼻試験、アジアドコキネーゼともに拙劣、釦かけ及び紐結びなどの手指の運動は拙劣、緩慢とあり、松男の運動失調は両側性であるが、脳血管障害によつて左側半身性の運動失調が合併しているものと見るのが合理的である。右運動失調は、共同運動障害が認められるので神経系以外の筋力の低下、脱力によるものではなく、水俣病による主要症候の一つである。

(ハ) 平衡機能障害 松男の審査会資料は、両足起立は短時間、片足起立障害(右足より左足の右障害が強い)、ロンベルグで軽度陽性、原田診断は立位困難、片足立ち不能とあり、いずれも松男に平衡機能障害の存在する他覚的所見であり、平衡機能障害は水俣病の主要症状の一つである。

(ニ) 求心性視野狭窄、視野沈下 松男は幼少時に左眼を失明しており、松男の審査会資料では右眼の軽度の視野沈下、原田診断では右眼の視野狭窄の疑いとの他覚的所見であり、松男は眼科疾患である白内障に罹患していたが、白内障は、眼球の器質的変化を招来するが求心性視野狭窄、視野沈下は発現しないし右半部脳血管障害によつても発現しない。求心性視野狭窄は水俣病の主要症状の一つである。

(ホ) 聴力障害 松男に内耳性難聴が存在したことは、被告熊本県知事も肯認するところである。内耳性難聴は水俣病の主要症状の一つである。

(ヘ) 精神症状、歩行障害等 いずれも他覚的所見あり、右各症状は水俣病の症状に見られるものである。

Ⅲ 以上のとおり、松男は、被指定地域においてメチル水銀の長期かつ多量の曝露を受けた事実が存在し、かつ、健康障害の諸症状が、その地域の疾病である水俣病の諸症状に一致し、昭和三二年頃には、メチル水銀曝露による健康障害の諸症状が発現して水俣病となり、漸時症状が拡大し重くなつていつたことは明らかである。

(2) 原告渕上について

Ⅰ メチル水銀曝露の疫学的因果関係の存在

イ 家庭歴

原告渕上は、父 江口政市、母 岩坂モヤとの間に昭和一六年一一月二日、水俣市湯堂で出生し昭和四一年六月 二四歳で渕上賢治と婚姻し、賢治との間に、昭和四二年五月一〇日 長女 マリ、昭和四四年八月一七日 二女 恵子、昭和四六年九月一八日 長男竜二が各出生した。

ロ 職業歴

原告渕上は、昭和三二年三月 袋中学卒業後、瀬戸市の陶器製造業 片山商店に就職したが、約一年四か月で同商店を辞めて実家に戻り、その後、道路工事人夫として稼働し、昭和三四年から同四〇年一一月まで西村真珠養殖の真珠貝養殖の手伝いをし、昭和四一年一一月に退職した。

ハ メチル水銀曝露歴

原告渕上は、三歳頃まで漁業を営む父母と水俣病最多発地域の一つである水俣市湯堂に居住し、その後他に転住したが、再び昭和二七年頃から昭和三二年三月まで、昭和三三年七月頃から昭和四一年六月まで及び昭和四二年後半から昭和四九年三月頃まで水俣市湯堂の母の実家で居住して水俣湾付近で捕れる魚介類を多食した。

母の父 岩坂増太郎は、漁師で岩坂若松からイワシ網一統を委かされて水俣湾付近で漁をし、祖母 ワキ、母の弟 均、母及び兄 一行が増太郎の漁業の手伝いをした。原告は特に魚介類が好物で生でも煮ても人一倍食べた。朝、魚介類が網から揚げられると先ず生で食べ、次に、大鍋で煮たり刺身にしたりして、朝、昼、晩に食べた。貝類も、カキ、アサリ、ビナ、黒貝などを食べ続けた。昭和三四年から稼働した西村真珠養殖の真珠養殖場は、水俣湾に面する恋路島等にあつて、その仕事は単純作業で暇が多かつたため浜で魚釣り、貝採りをして豊富に捕れた魚介類や、真珠を採取した後の母貝の肉等を多食した。さらに、昭和三六年頃に約一年間、湯堂の波止工事に従事した潜水夫が同居し、毎日のようにナマコ、タコ等を捕つて持ち帰つて来たので家族全部で多食した。なお、昭和二七年頃には、猫がきりきり舞いしたり、突然走り出して物に突き当つて海に飛び込んだりする発作を起こし、昭和三〇年頃には、部落中の猫が死に絶えた。増太郎方では、特に猫を飼つたことはなかつたが、従前、七、八匹の猫が常時周辺をうろつき増太郎方の台所の残飯を食べたり、製造中のイリコを食べたりしていたが、いずれも居なくなり姿が見えなくなつた。

ニ 親族、近隣者及び仕事仲間の水俣病罹患

父 政市は、原告渕上の小学校低学年の頃健康障害が発現して漁師として稼働できなくなり、水俣病の認定患者である。母 モヤ及び兄 一行、祖父 増太郎も水俣病認定患者である。増太郎は、頑健であつたが突然手足の運動障害、言語障害、嚥下障害が発現し、濃い鼻水をたらし排泄物もすべてたれ流しておめき声をあげ、とても人間とは思えない凄絶な有様となつた。祖母 ワキは、母 モヤと同一症状で昭和二七年九月二四日 六一歳で死亡し、母の弟 均は、増太郎に似た症状で昭和二七年二月二一日 二七歳の若さで死亡した。原告渕上の夫 賢治は認定申請中であり、長女 マリは原告渕上の少年期に似た健康障害を訴えている。

近隣者では、原告渕上の小学校、中学校の頃に崎田タカ子、松田クミ子、富次、坂本タカエ、松永久美子、清子等が水俣病に罹患し、岩波マリ、スエ子、田中敏昌、坂本しのぶ、岩坂良子等の胎児性水俣病患者がいる。

西村真珠養殖の仲間では、松本ムネ、松永里美、中本マサエ、荒木ヨシエ、古川ハルエ等が水俣病認定患者であり、他の者も申請中である。

Ⅱ 健康障害の存在

イ 発病及び自覚症状

原告渕上は、小学校低学年の頃は極めて元気であつたが、五、六年の頃から身体に力が入らなくなり、小学校高学年になると頭痛や両腕のシビレが生じ、中学一年生の頃から、常時、頭痛、肩凝り、腕の痛み(シビレ)を感じるようになり、身体が疲れ易くだるい感じで体育は苦手だつた。中学校卒業後、瀬戸市の片山商店では人形の絵付けの仕事をさせられたが、眉毛など小さなものは何故かうまく書けず、靴やスカートなど大ざつぱなものを書く仕事にまわされた。この頃、頭痛は、中学生の頃よりひどくなり、仕事を休んで病院通いをした。昭和三四年、真珠養殖の仕事をする頃から肩腕の力が脱けてしびれたようになり、仕事がしばしば中断した。昭和四六年九月一八日、竜二を生んでから原告渕上の症状は悪化し、まるで地面の中に吸い込まれて行くような不快感に襲われ、日々死んでいるような生活であつた。一日に、三、四回は、食物を吐き、後は、空吐きした。道を歩いても道の傾斜、上下、起伏がわからず夢の中で歩いているようだつた。昭和四七年二月頃から右半身がしびれて血が通つていないかのようになり、その後、数年間は左半身より右半身の具合が悪かつた。最近では全身がしびれている。原告渕上の現在における自覚症状は、(イ) 肩から腕、手指及び腰から下の下半身の痛み、(ロ) 腕から手指、手足の裏のしびれ感、(ハ) 腰の脱力感、だるさ、(ニ) 腿、手、口周囲の筋肉がピクピクする、(ホ) 手足の指がカラス曲りをする。(ヘ) 仕事中手から力が脱け、利かなくなる、(ト) 転び易く歩行困難、(チ) 頭の中がモシャモシャしてイライラする、(リ) 耳鳴りがして耳の中に何か詰まつているような異常感、(ヌ) 目がまるで白いものが被さつたようにかすむ、(ル) 味覚が鈍麻している、(ヲ) 言葉がしやべり難い、(ワ) 手が震える、(カ) 針仕事、釦付けなどの細かい仕事ができない、(ヨ) 疲れ易くいつもだるい、(タ) 気の遠くなるような発作に襲われる等である。

ロ 臨床所見(他覚的所見)

(イ) 感覚障害 感覚障害(知覚障害)については、認定申請書添付の熊本大学医学部付属病院精神神経科 樺島啓吉医師の昭和四八年一月二二日付診断書(以下「樺島診断」という。)には、四肢の感覚障害を認め、新潟大学脳研究所神経内科 白川健一講師の診断書(以下「白川診断」という。)は、末梢に強い感覚障害、振動覚の低下、就中、水俣病に特徴的な口周囲の感覚障害を認め、下肢の感覚障害は、躯幹部まで(臍の線まで)に及んでいることを認め、昭和四八年八月三〇日から昭和四九年三月における審査会資料(以下「原告渕上の審査会資料」という。)は、検診時に原告渕上が長時間待機をさせられ体調が優れないため帰ろうとしたのを引き留めて短時間の検診を行つたため、検診医と原告渕上との人間関係が良くなく、検査が中途半端であつたことを前提としながらも、触痛覚は、部分的に不規則に少し過敏であつたり鈍麻であつたりして一定せず、振動覚やや短縮とあり、感覚障害の存在していることを観察している。阪南中央病院 村田三郎医師は、昭和五六年五月及び一二月の検診で、原告渕上には、口周囲と四肢末梢の感覚障害を認めている。

(ロ) 運動失調 運動失調については、樺島診断が軽度の失調を認め、右村田医師の鑑定では、昭和五六年五月の診察時に片足立ち閉眼不安定、指鼻指示テストでディスメトリー、足踏+−、昭和五六年一二月の診察時に、つぎ足直立動揺(左)、片足立ち左右とも閉眼不安定、軽度の運動失調の存在することを認め、証人原田正純も、診察して原告渕上が若いのに運動が非常にのろくてまずいとの診断をした旨証言している。

(ハ) 視野狭窄、眼球運動異常 右審査会資料は、視野沈下を認め、眼球運動が正常と異常のボーダーラインであるとし、右村田医師の鑑定では、昭和五六年五月の診察で視野沈下、昭和五六年一二月の診察で視野に虫食い様の暗点を認め、視野沈下、間引き脱落現象は、高血圧性眼底、糖尿病、網膜色素変性症などの他疾患が認められないから水俣病の症候であるとの判断をし、白川診断は眼球運動の失調も他覚的所見の一つとしている。

(ニ) 聴力障害 樺島診断は、原告渕上の難聴を認め、村田医師の鑑定では、昭和五六年五月の診察時に、五〇ないし六〇dbの感音性難聴を認め、慢性中耳炎、騒音障害の既往症はないと診断している。

(ホ) その他 知能及び性格障害、疲労状、大儀そう等については、樺島診断、白川診断の各他覚的所見であり、いずれも水俣病に見られる諸症候である。

Ⅲ 以上のとおり、原告渕上は、被指定地域においてメチル水銀の長期かつ多量の曝露を受けた事実が存在し、健康障害の諸症状がその地域の疾病である水俣病の諸症状に一致し、昭和二八年頃には、メチル水銀曝露による健康障害の諸症状が発現して水俣病となり、漸時症状が拡大し重くなつていつたことは明らかである。

(3) 愛子について

Ⅰ メチル水銀曝露の疫学的因果関係の存在

イ 家族歴

愛子は、父 外囿源次、母 スエとの間に大正四年三月二二日、鹿児島県薩摩郡求名村で出生し、昭和一三年に原告山内正人と結婚し、昭和一五年七月一一日、婚姻届をして正式に婚姻し、原告山内正人との間に昭和一五年六月二八日、長女 一子、昭和一八年一月一日、二女 ヤスエ、昭和二〇年六月五日、三女 光子、昭和二二年一一月一三日、四女 信子、昭和二五年一〇月三一日、五女 八重子が各出生した。源次は、腹膜炎で昭和一七年一月三〇日、スエは老衰のため昭和五三年一一月一日、各死亡したが、なんら遺伝的疾患はなかつた。

ロ 職業歴

愛子は、尋常小学校卒業後農業に従事し、昭和一三年頃から昭和二〇年頃まで材木運搬の馬車曳きをする夫の手伝いをしたが、その後、昭和三三年頃の後記健康障害の発現によつて作業をすることができなくなるまで農作業に従事して稼働した。

ハ メチル水銀曝露歴

愛子は、昭和二〇年から終生、水俣病最多発生地域の一つである漁師部落の茂道に隣接する水俣市神ノ川に居住し、昭和三〇年頃以降茂道部落の佐藤栄一郎や魚介類の行商人梅野キヨから毎日のようにボラ、タチ、スズキ等を買入れ、農作業の合い間には、神ノ川、茂道の浜辺でビナ、ナマコ、マガリ、貝等を採取して持ち帰り一家で多食し続けた。毎朝味噌汁の出しとり用のマイワシやタレソも茂道で捕れたものを使用し、出しをとつた後はそのまま食べたり、子供がおやつがわりに食べた。愛子は、魚好きで魚の骨もお茶をかけてすすつたり、焼いたりして余すところなく食べ人一倍多食した。昭和三四年頃には、愛子の家猫が次々に狂死して昭和三七年頃までには、狂死した家猫は五匹位に達した。

ニ 親族、近隣者及び知人の水俣病罹患 夫 原告山内正人は水俣病認定患者であり、三女 光子は水俣病認定申請中である。神ノ川三組の三八世帯には、水俣病認定患者

七名がおり、佐藤栄一郎、梅野キヨ及び右両名の家族全員が水俣病認定患者である。なお、原告山内正人と愛子間に出生した五人の子供らは、全員、頭痛、しびれ、眼が悪い等の健康異常に悩まされている。

Ⅱ 健康障害の存在

イ 発病及び自覚症状

愛子は、生来非常に頑健で過酷な農作業を手際良くこなし、休みなく家族全員の面倒を見てこまねずみのように良く働いていたが、昭和三三年頃から、手足のしびれ、足のひきつけ、頭痛、つまづきなどを起こすようになつて農作業が思うようにできなくなり、茶碗を割るなど、家事もうまく処理することができないようになつた。そして、昭和三四年頃からは、病院通いが止まなかつたが効果なく頭痛、吐気等に悩まされて寝ていることが多くなり、枕元の洗面器には、茶碗二杯分ほどの涎が溜つていることもあつた。その頃、少し気分が良い時には、畑仕事に行き、仕事の最中急に鍬を捨てて手で犬のように畑を掘り返して跳ねて回つたりする異常行動をした。愛子は、昭和三七年頃からは、目がかすむようになり、昭和四一年には、言葉がもつれてうまくしやべれなくなつた。足も不自由になり、けつまづいたり、草履が脱げても自分では気がつかないこともあつた。冬になると夜中に手足のひきつけやしびれで眠れないようになつた。昭和四二年一〇月一九日には、自宅で倒れて、二週間、意識不明が続き、市川病院で脳卒中と診断された。意識回復後は、一〇か月程、市立病院と湯ノ児病院分院に入院し、退院後は、杖をついて歩くようになつたが、次第に全身不自由となり、しやべれなくなつた。昭和四七年七月には、用便が不自由になり、昭和四八年五月には、便所に行く途中転倒し、以後全く自立できなくなり、全身に痙攣が来るようになつた。愛子は、大人四人が総がかりで押えなければならないほどの強烈な痙攣に見舞われ、寒い冬の夜などは、特にひどく見舞われた。愛子は、元来芯が強く、明るい性格の持主であつたが、諸症状がひどくなるに従い次第に性格が暗くなりヒステリー状態となつて急に泣き出したり、気分の悪い日は、一日中部屋にとじこもつて、左手を食卓台についたまま頭をたれて涎をたらしうつむいていた。愛子は、昭和五二年には便意がわからなくなつて、おしめをするようになり、便所からいざつて出る体力もなく便器にはまりこんで動けなくなり、時には、自棄的に糞を投げ散らかしたりした。昭和五一年の暮頃からは、痙攣が連発し、翌昭和五三年一月、岡部病院に入院したが、強烈な全身痙攣が断続的に愛子を襲い、遂には舌をみ切つて息が絶え、凄絶な非業の死を遂げた。

ロ 臨床所見(他覚的所見)

(イ) 感覚障害(知覚障害) 認定申請書(第一回)添付の熊本大学医学部助手 名和行文医師の昭和四八年二月一三日付診断書(以下「名和診断」という。)は、愛子の右半身及び左足末梢部の感覚障害を認め、認定申請書(第二回)添付の舛井幸輔医師の昭和五二年一二月二八日付診断書(以下「舛井診断」という。)は、愛子の右半身の感覚運動障害と共に左半身の感覚障害を認める。名和診断は、愛子に昭和二七年から頭痛、関節痛が発現した自覚症状を取り上げ、昭和四八年一二月一六日から昭和四九年一月八日における愛子に対する検診結果を記録した審査会資料(以下「愛子の審査会資料」という。)は、愛子に昭和三三年頃から手足がしびれ、昭和三五年頃には、頭痛、背や腰の痛み、手足のしびれ等が発現した自覚症状の記載があり、右所見と昭和四〇年頃、高血圧症状が発現し、昭和四二年一〇月一九日の脳卒中発作により右半身麻痺に陥つた経緯を総合判断すると、愛子は、脳卒中発作に見舞われる以前から四肢末梢系の感覚障害が発現し、悩卒中の発作により右半身麻痺に陥つて従前からの右上下肢末梢系の感覚障害に加え右半身全体の感覚障害が発現したとみるのが合理的である。

(ロ) 視野狭窄 舛井診断、愛子の審査会資料、証人岡嶋透の証言は、愛子に視野狭窄を認め、愛子の審査請求に対する環境庁の裁決は、視野狭窄及び視野沈下を認めている。愛子に対する審査会資料のゴールドマン視野測定機による視野図によれば、愛子の両眼は、周辺視野が四〇度まで狭窄しており、4/Ⅰの視標は、中心一〇度以外での視標を認識することが不能で、右以下の視標では全く光を感ずることがなく、イソプター(同一視標で見える範囲を示す等高線)の沈下が見られる。右視野図が作成可能であつた事実は、愛子が被検査能力を有し、検査者が十分に検査をしえたことを窺わせるに足りるものである。視野図によつても、愛子の両眼の視野狭窄は、殆んど円形であつて同じ範囲であり、通例、眼球の中心窩から鼻柱側に一七度位に位置する眼の機構的な暗点であるマリオット暗点も、視野表の4/Ⅱの視標で両眼とも正確に答えられている。愛子の審査会資料は、愛子が4/Ⅰの視標では光を判別し、光の弱い2/Ⅰ、3/Ⅰの視標では光を判別不能であるとしていることから、イソプターの沈下が存在したことは明らかである。求心性の視野狭窄及び視野沈下は、水俣病の重要な症状である。

(ハ) 聴力障害 名和診断は、中枢性の聴力障害として、右側は聴力殆んど喪失、左側は僅かに聴力が保存されていると判断し、愛子の審査会資料は、オージオグラムによると左右差はそれほどではないが、五〇〇CPSで約三五db、四〇〇〇CPSで約五〇db、八〇〇〇CPSで約八〇dbの聴力損失を認めており、難聴であることは明らかである。舛井診断は難聴を明確に認めている。水俣病患者の聴力障害は、高音部ほど強く発現しており、愛子の聴力障害がこれに類似している。

(ニ) 構音障害 名和診断は、構音障害()を認めている。愛子の審査会資料はaphasia(失語症)としている。愛子は、脳卒中発作により他人の言語を理解する能力は相当程度に存在していたが、自己の意思を表現する能力を殆ど失つており、「あー」とか「うー」とかいう単音声しか発することができない状態であつた。愛子の右状態は、脳卒中による大脳障害に起因する失語症ではなく(失語症が発現する程の脳障害が発生しておれば、他人の言語は理解しえないのが通例である。)、小脳障害に起因する協同運動障害の一つである構音障害が発現しているものと見るのが合理的であり、一歩譲つて両者の並存的状態と推察すべきである。

(ホ) 脳血管障害 愛子は、長時間、メチル水銀曝露によつて脳血管系に対しても障害を受けなかつたとはいいえず、昭和四二年一〇月一九日の脳卒中の発作は、メチル水銀曝露によつて生ずる健康障害の一つであると推察する。白木博次氏は、実験病理学から考察し、メチル水銀が脳血管、循環器系への影響のあることを否定していない。

Ⅲ 以上のとおり、愛子は、被指定地域においてメチル水銀の長期かつ多量の曝露を受けた事実が存在し、健康障害の諸症状がその地域の疾病である水俣病の諸症状に一致し、昭和三三年頃には、メチル水銀曝露による健康障害の諸症状が発現して水俣病となり、漸次症状が拡大し重くなつて、凄絶な非業の死を遂げたことは明らかである。

(4) 原告御手洗について

Ⅰ メチル水銀曝露の疫学的因果関係の存在

イ 家族歴

原告御手洗は、父 御手洗万寿男、母 ミサヲの間に、昭和一一年一月一五日、三男として大分県日田郡中津江村一の瀬の鯛生金山で出生し、昭和三八年一〇月 山崎カチ子と婚姻し、原告御手洗とカチ子との間に、昭和三九年七月二五日、長男 辰夫、昭和四一年三月三日、長女 知子が各出生した。父万寿男は、原告御手洗が生後八か月目に鉱山事故で死亡した。万寿男、ミサヲには遺伝的疾患はなかつた。

ロ 職業歴

原告御手洗は、昭和三七年、福岡で約一か月半洋服店の仕立て見習いをし、その後、美術品の販売、靴の修理販売など転々職を変えて現在に至つている。

ハ メチル水銀曝露歴

原告御手洗は、父死亡後母に連れられて鹿児島県阿久根市にある父の実家に移り住み、水産加工と海産物の卸元を営んでいた祖父 御手洗辰次郎、祖母 キノの許で昭和一八年頃まで養育され、その間、魚介類が好きで勝手放題に不知火海産の魚介類を多食した。その後、一時期、鹿児島県出水市の母方の実家で約二年居住したが、昭和一八年頃から同市内の米の津で割烹旅館の経営を始めた母ミサヲの許で養育され、昭和二五年頃まで不知火海の魚介類を多食した。母の経営する割烹旅館は、米の津の漁師 釜鶴松等から不知火海の魚介類を多量に仕入れ、これを料理して提供していた。その後も、原告御手洗は、祖父母の許に戻つて昭和三七年頃まで水俣湾等の不知火海の魚介類を多食した。祖父 辰次郎は、昭和二四年頃以降、水俣市八幡に居住する朝鮮人の金子某から密造酒を仕入れ販売を始めたが、金子某は、密造の焼酎隠匿用に水俣湾で捕れたイワシ、ハモ、タチウオ、ボラ、グチ、クツゾコ等の魚を毎日少くとも約七、八Kg持ち込んでおり、このような仕入れが昭和二八年三月、辰次郎が死ぬ三日前まで続けられ、持ち込まれた水俣湾産の魚はすべて辰次郎ら家族で消費した。なお、昭和二八年には、水俣湾内のクロダイ、スズキなどの死魚が大量に浮上し、さらに、海藻や貝類も著しく減少した。釜鶴松は、原告御手洗が阿久根の祖父母の許に戻つてからも、昭和三一年頃まで約六年間、出水市米の津付近の海域で捕れたボラ、キス、クサビ、ヤノイオ、タコ、ナマコなどを手土産に持参して繁々と訪れ、このような関係は、釜鶴松が劇症型の水俣病で急死する昭和三五年一〇月一三日の直前まで続き、原告御手洗らは、釜の持参した魚獲物を食べ続けた。

ニ 親族、近隣者及び知人の水俣病罹患

祖父 辰次郎は、昭和二八年三月二〇日、突然涎を流し激しい痙攣に襲われてろれつが回らなくなり、三日間、苦しみいて凄絶な死を遂げた。水俣病の急性劇症型の典型症例と思われる。続いて、祖母 キノは、その頃から突然歩けなくなつて病床につき、約二年半後には発狂して夜中に苦悶し呻き声を発しながら、昭和三一年二月九日、非業の死を遂げた。祖母もまた水俣病の急性劇症患者であつたことは明らかである。釜鶴松は、村角力で横綱を張る体格の持ち主であつたが、昭和三五年一〇月一三日、急性激症型の水俣病で死亡した。

Ⅱ 健康障害の存在

イ 発病及び自覚症状

原告御手洗は、昭和三二年頃から両手の指先が手袋でもかけたように感覚が鈍り始め小きざみに震えるようになつて、ギターの爪弾きができなくなり、昭和三四年秋頃から、頭痛、涎、舌のもつれなどの症状が発現し、涎は自然に出ないようになつたが、他の症状は残存した。さらに、原告御手洗は、昭和三五年頃から左半身にしびれ、だるさが発現し、口が思うようにきけずに震え、早口で話すと舌がもつれるようになり、昭和三七年六月頃からは、右手が痛み始めしびれているため物が握れなくなつた。そこで、原告御手洗は、同年八月二日久留米国立病院整形外科に入院し、手術を受けたが、右手の指や皮膚のしびれは、残存し、さらに、左半身のしびれや麻痺が発現した。昭和三九年に原動機付車椅子の免許を受け、道で知人とすれ違つても気付かず、妻 カチ子からも道ですれ違つて気付いてくれないとよく怒られた。その頃には、両眼に求心性視野狭窄が進行していたものと思われる。なお、原告御手洗は、昭和一二年 二歳当時、ポリオ(脊髄性小児麻痺)に罹患し、両足が麻痺して歩行不能となり、七歳当時、右腕を骨髄炎におかされて手術を受けたが、右肘関節が完全に伸びなくなつた。しかしながら、原告は、生来、性格が負けず嫌いであり、子供の頃から両足は全く歩けず、右手も不自由ではあつたが、水泳、櫓漕ぎをこなした。一八歳当時、阿久根で左手のみで一五〇〇メートル泳いだことで、毎日新聞に大きく報道されたこともあるくらいである。さらに、舟を漕いで対岸の阿久根大島まで、数度、一人で往復したこともあるほど頑健であつた。最近は、手足の指、大腿部をはじめ左半身全体がしびれ、右半身は左ほどではないが、知覚が鈍く、手足の先がよくしびれる。また口周囲がしびれ、唇は熱いものをあまり感じず舌がしびれて、味覚、嗅覚も鈍い。さらに、常時頭重感があり、物忘れがひどく物事に対してあきつぽいし風邪をひき易い。肝臓が悪く通院したこともある。このような自覚症状に日夜苦しんでおり、病状は軽快しない。

ロ 臨床所見(他覚的所見)

(イ) 感覚障害 原告御手洗に対する鹿児島県認定審査会の昭和四八年一月一八日から同月二〇日検診の第一四回認定審査会資料、昭和四八年三月一四日検診の第一五回認定審査会資料、昭和四八年五月二二日から同年七月一〇日検診の第一六回認定審査会資料(以下「原告御手洗の審査会資料」という。)は、原告御手洗に昭和四八年一月一九日の検査では、首から下、左半身麻痺、右上肢の感覚障害を認め、昭和四八年五月二五日の検査では、顔面上部を除く顔面の感覚障害、首から下、左半身麻痺、右上、下肢の感覚障害を認め、昭和四八年七月四日の検査では、顔面左側上部を除く顔面部全体の感覚障害、右側上肢、右側下肢から躯幹部に及ぶ各感覚障害を認める。原告御手洗の感覚障害は、左半身の片麻痺の感覚障害と四肢末梢系の感覚障害が併存し、四肢末梢系の感覚障害は、健側である右側の上肢、下肢、頭部、躯幹部へと拡大悪化していることが明らかであり、これを図示すると次のとおりである。

先ず、一つは、片麻痺状の感覚障害。

もう一つは、四肢末梢型(globe and stocking形)の感覚障害。

メチル水銀による中枢性神経系障害に特有な症状の一つである四肢末梢系の感覚障害部位は、徐々に拡大するのが通例である。阪南中央病院の三浦医師の鑑定は、原告御手洗の右感覚障害が右二系統によるものと判断しており、さらに、口周囲の感覚障害を認めている。

(ロ) 運動失調 右三浦医師の鑑定は、全体の判断としては不明であるとしながら、他の検査との関連で小脳失調の存在する可能性が強いと判断している。

(ハ) 求心性視野狭窄、視野沈下及び眼球運動異常 これらの眼科障害は、被告鹿児島県知事の肯認するところである。原告御手洗の審査会資料は、求心性視野狭窄、視野沈下及び眼球運動異常を認め、水俣病に起因する症状であることが否定できないとする判断をしている。久留米大学医学部付属病院眼科 杉田隆医師の昭和四八年一〇月九日付診断書(以下「杉田診断」という。)は、ゴールドマン視野測定機により求心性視野狭窄を認め、視力、眼底等には全く異常を認めず、網膜色素変性症は認められない判断をし、原告御手洗の求心性視野狭窄が中枢神系性に起因することが確認されている。阪南中央病院の三浦医師の鑑定は、両側性の求心性視野狭窄がポリオによつて起る可能性はないと明言し、CTスキャンの結果を含めて脳腫瘍、脳血管障害はなく、求心性視野狭窄は、脳腫瘍、脳血管障害によるものではないと判断している。

証人原田正純は、求心性視野狭窄が心因性による可能性も否定する証言をしている。

(ニ) 難聴 原告御手洗は、メチル水銀による内耳性難聴である。被告鹿児島県知事は、右内耳性難聴がメチル水銀の影響によるものであることを否定しないところである。

(ホ) 筋萎縮 原告御手洗に見られる筋萎縮は、メチル水銀に起因する慢性期の一つの症状である。

Ⅲ 以上のとおり、原告御手洗は、被指定地域においてメチル水銀の長期かつ多量の曝露を受けた事実が存在し、健康障害の諸症状がその地域の疾病である水俣病の諸症状に一致し、昭和三二年頃にはメチル水銀曝露による健康障害の諸症状が発現して水俣病となり、漸時症状が拡大して重くなつていつたことは明らかである。

第三  証 拠〈省略〉

理由

一1  本件各処分

(一)  松男は、昭和四八年二月三日、被告熊本県知事に対し、救済法三条一項に基づき水俣病認定申請をしたが、被告熊本県知事は、昭和四八年一二月一三日付で右申請を棄却した。そこで、松男は、昭和四九年二月一一日、環境庁長官に対し、右処分の取消しを求めて行政不服審査請求の申立てをしたが、環境庁長官は、昭和五三年八月一〇日、右審査請求を棄却する旨の裁決をした。松男は、右処分の取消しを求めて本訴を提起したが、その後、昭和五四年一月八日死亡したので、相続により松男の一切の権利義務を承継した相続人の一人である松男の妻 原告荒木が本件の訴訟承継をした。(二) 原告渕上は、昭和四八年一月二九日、被告熊本県知事に対し、救済法三条一項に基づき水俣病認定申請をしたが、被告熊本県知事は、昭和四九年四月三日、右申請を棄却した。そこで、原告渕上は、昭和四九年六月三日、環境庁長官に対し、右処分の取消しを求めて行政不服審査請求の申立てをしたが、環境庁長官は、昭和五三年八月一〇日、右審査請求を棄却する旨の裁決をした。(三) 愛子は、昭和四八年二月一六日、被告熊本県知事に対し、救済法三条一項に基づき水俣病認定申請をしたが、被告熊本県知事は、昭和四九年二月八日、右申請を棄却した。そこで、愛子は、昭和四九年三月五日、環境庁長官に対し、右処分の取消しを求めて行政不服審査請求の申立てをしたが、右審査請求中の昭和五三年一月一六日死亡したので、相続により愛子の一切の権利義務を承継した相続人の一人である夫 原告山内が、行政不服審査法三七条に基づき、昭和五三年二月一〇日、審査請求人の地位を承継し、環境庁長官に右承継の届出をしたところ、環境庁長官は、昭和五三年八月一〇日、右審査請求を棄却する旨の裁決をした。(四) 原告御手洗は、昭和四七年二月七日、被告鹿児島県知事に対し、救済法三条一項に基づき水俣病認定申請をしたが、被告鹿児島県知事は、昭和四八年八月二九日、右申請を棄却した。そこで、原告御手洗は、昭和四八年一〇月一九日、環境庁長官に対し、右処分の取消しを求めて行政不服審査請求の申立てをしたが、環境庁長官は、昭和五三年八月一〇日、右審査請求を棄却する旨の裁決をした。

2救済法について

救済法は、昭和四二年法律第一三二号の公害対策基本法の精神に則り、事業活動その他の人の活動に伴い相当範囲にわたる著しい大気又は水質の汚濁による疾病に罹患している者が多数に及んでいる地域が存在している実情にかんがみ、その影響による疾病に罹患した者の健康被害の救済を図ることを目的として制定された法律であり、右地域がある場合当該地域及びその地域に係る疾病を指定し、その疾病に罹患している者の申請に基づき都道府県知事等が公害被害者認定審査会の意見を聴して認定を行い、認定者に対しては、医療費、医療手当等の医療に関する給付を支給することを骨子とする法律であり、右趣旨及び目的を受け継いだ補償法が、昭和四九年九月一日から施行されたことによつて救済法が廃止された。なお、補償法附則一二条によつて救済法廃止前に救済法の認定申請をした者については、なお従前の例により認定することができることとなつており、認定を受けた者は、補償法による認定を受けた者とみなされる旨定められている。そして公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法施行令一条により、昭和四四年一二月二七日、熊本県水俣市、鹿児島県出水市等の地域及びその地域に係る疾病としての水俣病の各指定がされた。

以上の事実は、当事者間に争いがない。

二  水俣病について

1水俣病は、チッソ水俣工場が、アセトアルデヒド酢酸製造工程中に副生されたメチル水銀化合物を含む工場廃水を長期かつ多量に不知火海の水俣湾及びその周辺の海域に排出した結果、魚介類が汚染され、魚介類の体内に濃縮したメチル水銀が蓄積し、さらに、地域住民が右魚介類を経口摂取することにより、人体内にメチル水銀が蓄積して罹患する中毒性疾患であることは、当事者間に争いがない。

2チッソ水俣工場排出のメチル水銀の不知火海における汚染状況

以下に引用する書証は、特にその成立又は原本の存在及び成立について触れない限りその成立又は原本の存在及び成立に争いのないものである。

〈証拠〉並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(一)  明治四〇年、株式会社日本カーバイド商会が設立され、水俣にガーバイド製造工場が建設された。明治四一年、曽木電気株式会社と株式会社日本カーバイド商会が合併して日本窒素肥料株式会社を設立し、昭和一六年に朝鮮窒素肥料株式会社を吸収合併した。昭和二五年には、日本窒素肥料株式会社の所有する工場、発電所等すべてを承継する第二会社として新日本窒素肥料株式会社が設立され、昭和四〇年一月一日、右会社は、商号をチッソ株式会社と改称した。チッソ水俣工場は、当初、石灰窒素、合成アンモニア・硫安等の製造をし、その後、アセチレン系有機合成化学工業として昭和七年には、合成酢酸(カーバイド→アセチレン→アセトアルデヒド→酢酸)の製造を始め、昭和一四年には、全国需要量の約半数を占めるに至り、さらに、無水酢酸アセトン、酢酸エチル、酢酸ビニール、酢酸繊維素、酢酸人絹、塩化ビニールなどのアセチレン誘導品を工業化した。第二次大戦後は、アセトアルデヒドの生産を行い、昭和二四年には塩化ビニールの生産を再開、昭和二七年一〇月には、オクタノール(塩化ビニールの可塑剤DOP・DOAなどの原料)をアセトアルデヒドから誘導合成し、その後、塩化ビニール、オクタノール、DOPなどの生産量は累増し(塩化ビニールの年生産量は、昭和二四年 五トン、昭和二七年 一〇〇〇トン、昭和二九年 三五〇〇トン、昭和三一年 六五〇〇トン、昭和三三年 九〇〇〇トン)、これらの誘導品の原料であるアセトアルデヒドの需要増加を来たしてアセトアルデヒドの年生産量も、昭和二一年 二二〇〇トン、昭和二九年 九〇〇〇トン、昭和三一年 一万五〇〇〇トン、昭和三三年 一万九〇〇〇トンと逐年増加し、チッソ水俣工場は日本で有数のアセチレン有機合成化学工場となつた。その後、昭和三九年七月には、千葉県五井にあるチッソ石油化学株式会社において石油化学法によるアセトアルデヒド製造装置が完成したので、チッソ水俣工場は、昭和四〇年に酢酸エチル及び酢酸の製造を停止し、アセトアルデヒドの年生産量は年々減少し、昭和四三年五月右製造を全面的に中止した。チッソ水俣工場が、昭和七年から昭和四三年五月までの間に製造したアセトアルデヒドの製造量の累計は約四五万六〇〇〇トン、これに使用された水銀中未回収の水銀量の累計は、約二〇七トンに及び、これに昭和一〇年から同二五年までの間に製造した無水酢酸の製造工程における触媒として使用した水銀や塩化ビニール製造工程において使用した水銀の各損失量等を考慮すると、チッソ水俣工場は、昭和七年のアセトアルデヒド製造の開始から昭和四一年六月に工場廃水を閉鎖循環方式の採用によつて完全に排出をしなくなるまで約三四年間にわたり、相当量のメチル水銀を不知火海の水俣湾及び付近の海域に排出し続けて不知火海を汚染した。因に、水銀の濃度は、昭和三四年当時、水俣湾内外では、チッソ水俣工場廃水の排水口付近における泥土の最高値が二〇一〇ppmを示し、昭和三八年一〇月、水俣湾内の一六か所の地点における泥土の水銀濃度は、二・四〇mの深さで最高値の七一六ppmを示し、汚染土の深さは、三・六八mに達していた。昭和四八年、底質の水銀量は、水俣湾内で一〇〇ないし四〇〇ppm、水俣湾外付近で約一〇ppm、不知火海の南口の黒の瀬戸、北の三角半島、西の御所浦、獅子島、長島付近で〇・一ppmであつた。

(二)  チッソ水俣工場の工場廃水が水俣湾付近の魚介類に与えた影響については、大正一五年に漁民とチッソ水俣工場との間に漁業補償契約が結ばれ、昭和一八年に再び漁業補償契約が結ばれた経緯等の面から見ても、早くから相当に悪影響を及ぼしていた。昭和二八、九年頃からは、水俣湾内にタイ、ボラ、タウチオなど相当に多数にのぼる死魚が浮上する現象が目立ち、昭和三〇、三一年頃には、右現象が益々顕著になつた。昭和三二年七月頃には、アサリ貝につき、丸島港外の北側付近で殻長 二・〇ないし三・八cmの貝は、一m2に僅か五五個程度の生息しか見られず、袋湾奥及び明神崎付近海域では、夥しいアサリの死貝で埋まり、イ貝(ヒバリガイモドキ)については、梅戸、丸島、水俣川河口付近に殆ど見られず、水俣湾周辺においても、一部で稚貝が六〇〇個ほど生息しているのが見られる程度で、他は殆ど見られず、フジツボに至つては、水俣湾内で二〇ないし一〇〇%斃死し、丸島港付近でも多数斃死していた。昭和三四年、水俣湾及びこれに注ぐ水俣川河口の魚介類には、二〇ppmを超える水銀を含有する魚介類が存在し、昭和三五年、月の浦のイ貝(ヒバリガイモドキ)に最高 八五ppm、昭和四一年、月の浦のアサリ貝に最高 八四ppmの水銀が各検出され、さらに、昭和三六年、水俣湾のカマスに五八ppm、昭和四〇年、水俣湾外八幡沖のチヌに一一七ppm、昭和四三年、水俣湾内の魚に約二〇ppmの水銀が各検出された。その後も、昭和四六年、水俣湾内のフグ、タコ、キス、ガラカブ、ベラ等の魚類に一ppm、昭和四八年、水俣湾内のイシモチ、クロダイ、カサゴに約一ppmの水銀が各検出された。

(三)  水俣湾に面する月の浦、出月、湯堂、馬刀潟、百間などの地区では、猫が昭和二九年から昭和三一年の三年間に神経症状を呈して五〇匹ほど斃死し、豚、犬なども同一症状を呈して斃死したほか、湯堂などで鳥類も斃死したり飛翔、歩行困難となつたりした。猫の自然発症は、水俣湾周辺を中心に出水、竜ケ岳、御所浦、獅子島、東町、長島までみられた。自然発症の猫の肝臓及び毛には、数一〇ppm、実験発症例の猫の肝臓及び毛には、数一〇ppmから一〇〇ppmの水銀の蓄積があり、不知火海沿岸の健康猫も殆どの猫の肝臓及び毛に数一〇ppmから数一〇〇ppmの水銀の蓄積がみられ、昭和三五年、水俣湾内及びその周辺に生息するイ貝(ヒバリガイモドキ)を猫に与えた実験結果では、早いもので一三日目、遅くとも八五日目に神経症状が発生した。

(四)  メチル水銀は、当然人体にも影響を及ぼし、昭和三六年の熊本県衛生研究所の調査による不知火海沿岸住民の毛髪水銀値は、御所浦地区 九二〇ppmを最高に、いずれも一〇〇ppmを超え、その他の地区でも一〇ないし五〇ppm、昭和三七年、御所浦地区 六〇〇ppm、その他の地区 一〇ないし五〇ppm、昭和三八年の御所浦、津奈木地区 一〇〇ppmの各最高値を示し、昭和三八年、水俣市、津奈木、御所浦では、約六〇%が一〇ないし五〇ppmであつた。水俣病第一号患者は、公式には昭和二八年一二月一五日発病の五才の女児であるが、メチル水銀による症候の疑いのある患者は、昭和一七年頃からみられ、水俣病と診断された患者は、昭和三一年、昭和三五年に最も多かつたものの、その後も発症しており、その発生地域は、不知火海の沿岸北部の田浦、芦北から、南部の米ノ津までに及び、昭和四九年一二月までに認定された水俣病患者総数は、七四八名(熊本県関係六九九名)、昭和五三年四月四日までに認定された水俣病患者総数は熊本県関係一一六六名(うち死亡二二三名)、鹿児島県関係二〇七名(うち死亡二二名)にのぼつている。

3メチル水銀によつて罹患する病像

〈証拠〉並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  人体内に侵入したメチル水銀は、肝臓、腎臓等の臓器に凝集し、血液に混入して脳に至り、脳の各所の細胞や末梢神経細胞等を破壊する。先ず、大脳皮質では、両側性に大脳半球の広範囲の領域にある神経細胞が破壊され、最も障害の強いのは大脳後頭葉で、しかも鳥距野領域、中心前回、後回、横側頭回などである。脳構築からみると、第Ⅱ層から第Ⅳ層にかけての神経細胞障害が最も強いが、その他の神経細胞も破壊される。脳回表層部よりも脳溝深部谷部に病変が強く、鳥距野では、深部前方程病変が強く、後頭極へ近づくにつれて軽い。神経細胞の障害は、急性期に急性腫脹、クロマトリーゼ、重篤変化、融解、崩壊、ノイロノファギーが見られ、後に重症なものは消失して脱落する。その脱落が強いものは海綿状態となり慢性に経過すると、残存神経細胞は変性萎縮、硬化し、障害部にグリア細胞の増殖を招来する。小脳では、両側性に新旧小脳の別なく皮質の顆粒細胞層が障害され、顆粒細胞の融解、崩壊を招来してその脱落を来す。プルキニエ細胞は保存されやすいが、後に破壊されて脱落を招来し、ベルグマン・グリア細胞の増殖を伴う。このような神経障害は、小葉中心性に現われ易く、後になると、いわゆる中心性顆粒小脳萎縮の病像を招来する。大脳核、脳幹及び脊髄の病変は、脳皮質病変に比して軽く、末梢神経は、一般に脳中枢の病変に較べて軽度である。しかしながら、神経系統における病変は、広範囲にわたつて惹起され、中枢全般はもちろんのこと末梢にも出現する。一般臓器の病変は、急性期に消化管の靡爛を呈するものがあり、肝臓及び腎臓の脂肪病変がみられるほか、骨髄低形成がみられ、慢性に経過すると、全身の栄養障害と諸臓器の萎縮がみられる。

(二)  メチル水銀による人体に対する影響は、人体の全体との関連において考察すべきであつて、脳、末梢神経等の神経系にのみ限局して論ずべきものではない。血中の有機水銀の濃度または神経系への侵入量が、一定の危険閾値を超えれば、神経系の不可逆的崩壊が発生する。低級アルキル系有機水銀は、組織のSH基と強固に結合する特性があり、まず赤血球のグロビン・タンパクのSH基に強固に結合して血球に乗り体内を循環しながら徐々に臓器内に侵入する。メチル水銀と同程度の毒性を持つエチル水銀は、猿に投与した実験では、神経系のみならず、膵臓などの臓器にも蓄積、増量し、体内に摂取されたエチル水銀は、神経系の外、臓器や組織側の蛋白とも結合する。

右動物実験の結果は、人の有機水銀中毒症の発生機序を考察し、その理解を深めていく場合に有力な一つの資料である。猿の実験結果では、まず急性期から亜急性期にかけての有機水銀中毒症の脳損傷を決定していく諸因子のうち、脳の部位別、経時別による水銀の侵入量の多寡に加えて、細胞側の水銀に対する損傷性の高低差が重要であるが、これと併行して脳の血行障害の存在を重視すべきである。有機水銀が神経細胞に直達し、その壊死、崩壊をきたすのと併行し或いはそれ以前に、有機水銀が、脳血管壁自体に侵入し、その機能異常を来たし脳血管の攣縮、断血性を招来して脳実質の血行障害を発展させたり、脳血管の内被細胞自体にまず侵入しその損傷をきたすことによつて脳・血液関門が障害され、その結果脳浮腫を発生させたり、脳の損傷性を一層、増幅させ、有機水銀の脳実質への侵入量を増加させた可能性のあることを否定できない。因に、人の急性期から亜急性期における有機水銀中毒症の神経病理学は、脳の断血性血行障害と浮腫病変の結果像を明示している。猿の実験では、早期から心筋へ多量のエチル水銀が侵入し、その残留性も高い所見となつており、エチル水銀は、大動脈の特に筋層や内皮細胞層にも相当多量に侵入していることから、猿の全身の循環障害を招き、脳の血行障害に重畳した可能性があり、さらに、他の臓器や組織の血行障害をも招来しているものと考えられ、人の有機水銀中毒症の病理像にも右推察に合致する症候の所見としては、ハンター・ラッセルの報告例がある。右報告例には、冠動脈硬化症とこれに基づく断血性の心筋障害、細小動脈硬化性の萎縮腎等が指摘されており、慢性期の多数の水俣病患者にも右症状が見られる。即ち、亜慢性期から慢性期に属する幼少児や若年性成人の有機水銀中毒症患者の脳には、脳動脈の硬化性病変が殆どの場合に見出され、加令因子を超えた病的症状であり、急性期にもその片鱗が見られる。冠動脈硬化症、心筋障害や肥大、その他の臓器の細小動脈硬化症とこれに基づく組織損傷、たとえば細小動脈硬化性萎縮腎などの発生機序には、単に老令的因子の介在だけで説明できない部分があり、メチル水銀の積極的な役割を否定することができない。エチル水銀投与の動物実験では、大動脈管壁の特に心筋を含む筋層にエチル水銀が多量に侵入し遷延的に残留する所見が得られていることから、相当量のエチル水銀が、膵臓のランゲルハンス氏島にも侵入し、経時的に増量することが推測され、胎児性ならびに小児の慢性例の水俣病の全例にランゲルハンス氏島の病変を欠くことがない病理学の所見とも一致する。そして、ランゲルハンス氏島への有機水銀の侵入は、活性インシュリンの生産量を低下させ、血糖値の上昇を来たして糖尿病の症状を示す全身性の代謝異常を惹起することが考えられ、かつまた、血管壁自体にも有機水銀が直接侵入する事実と相俟つて、脳その他の全身の血管系の動脈硬化症を促進し、動、静脈両血管の遷延的な損傷を与え、血液の流入・流出の両方向で脳、臓器、組織等の病変や、脳動脈硬化症を次第に助長させ重篤度を増加させていく可能性が存在することは否めない。

(三)  従つて、メチル水銀によつて罹患する水俣病は、その病像が病理学的にいまだ十分に解明されている段階にあるものとはいえないが、現段階においては、人体に侵入したメチル水銀は、血液内に入り血流に乗つて人体各所を廻り、特に、脳、神経細胞を襲つて壊死または破壊し、これに起因して人体各所に諸症状を発現する中枢性神経系疾患としての面のあることは明らかであるが、それのみならず、血管、臓器、その他組織等にも作用してその機能を弱体劣化させ、これに起因して人体各所に病変を発生或いは既発生の病変を重篤化する可能性のあることを否定しえない中毒性疾患である。

(四)  人体内に摂取、蓄積されたメチル水銀は、或る期間を経過すると体外に排出されて人体内に残留する量が半減する。メチル水銀の摂取量が増大すると人体内の蓄積量及び排出量も増大し、日々一定量のメチル水銀を長期間にわたつて連続して摂取すると、人体内のメチル水銀の蓄積量は或る時点で排出量と平衡状態となり、蓄積量が増大しなくなる。メチル水銀が人体に作用し症状として発現するには、メチル水銀の蓄積量が或る限度を超える場合であり、右限度を超えた場合には、脳、神経細胞が不可逆的に侵襲を受けて破壊され、中枢性神経系の症状が発現する。水俣病発症のメチル水銀蓄積量の限界値即ち閾値は、摂取量、摂取回数、摂取総量、半減期、人体の体質、体調、既発生の疾患の有無等により異なり定数値はない。体重五〇kgの人で約二五mgのメチル水銀摂取量によつても感覚障害が発症する場合があり、約五五mgで視野狭窄、運動失調、九〇mgで構音障害、一七〇mgで難聴、二〇〇mgで死に至る場合もあり、個体差があつて一概にはいえない。なお、人体内のメチル水銀蓄積量の生物学的半減期も、脳、血液、血球、毛髪等で数値が異なり、殊に、脳のメチル水銀蓄積量の半減期は、二〇〇日以上、発症から二五〇日以上の日数を要するようであり、相当長期間にわたつて脳に残留し脳細胞を侵襲することが窺われる。

(五)  メチル水銀の人体に与える影響は、メチル水銀の侵入量、侵入期間、人体内における蓄積量、残留期間、人体側のメチル水銀に対する対向性の強弱等によつて様々であり、その発現する症状も多様である。

(1) メチル水銀摂取量が大量であつて急激かつ広汎に脳や全身に重篤な障害が起り、麻痺、意識障害、痙攣などを発して死に至る急性劇症型、(2) (1)のような重篤な障害を受けながら死に至らなかつたが、大脳皮質が広範囲に強い障害を受け、小脳障害もあり、失外套症候群を呈して、いわゆる植物人間として生存しているにすぎない重症型、(3) 通例見られる水俣病の症状を発現していたが次第に重症となるいわゆる慢性刺激型及び慢性強直型、(4) 感覚障害、求心性視野狭窄、運動失調、構音障害、難聴のハンター・ラッセル症候群ないし水俣病症候群をもつた普通型の定型的水俣病に属する型、(5) 臨床症状が、水俣病に通例見られる症候群として整つておらず、蓄積水銀量も少なく、多くは、急性軽症者や慢性発症者の一群のいわゆる不全型。この不全型は、大脳皮質の好発局在性の神経細胞の間引脱落が主で、小脳顆粒細胞脱落も比較的に軽い、(6) 水俣病の症状が、他の脳神経疾患の脳血管性障害等で隠されている型等がある。

(六)  水俣病の発症は、メチル水銀の摂取、吸収及び蓄積の過程があり、一定量以上の蓄積があれば発症するに至るが、一般的には摂取量が増えれば早期に発症し、連続して摂取しても摂取量が少なければ、長期にわたつてメチル水銀が蓄積することとなるために、初期症状の見られない者或いは軽症者が後年に至り水俣病の症状が明らかとなり或いは重篤化するに至ることがある。即ち、(1) 昭和四〇年新潟県阿賀野川流域に発生したいわゆる新潟水俣病において、阿賀野川下流水域の川魚が捕獲を禁止され、その後の水銀摂取が極めて少量と考えられたのに、数年後、症状が発現した例も確認されており、慢性の遅発性水俣病である。(2) 熊本における水俣病においても、初期に軽症であるか症状の発現が見られないのに数年を経て昭和三五年頃から昭和四〇年頃にかけて症状が増悪ないし発症した例が多く見られる。

(七) 水俣病に罹患した場合には、主に、中枢性神経系の各障害が見られる。四肢末端の感覚障害、運動失調、求心性視野狭窄、平衡機能障害、構音(言語)障害、聴力障害、歩行障害等が症状として多く発現するが、他に口周囲、舌尖のしびれ、筋力低下、振戦、眼球運動異常、味覚障害、臭覚障害、精神症状、痙攣その他の不随意運動、筋強直等様々な症状を示す。通例、初期には、四肢末端及び口周囲のしびれ感が緩慢に始まり、漸次拡大して言語障害、歩行障害、求心性視野狭窄、難聴等が発現する。(1) 感覚障害 水俣病患者に極めて出現頻度が高く、感覚障害は通例しびれ感として自覚される。感覚障害の有無については、筆などによる触覚検査、針などによる痛覚検査で他覚的所見が得られ、四肢末梢系の感覚障害は、四肢末端に手袋、靴下状(globe and stocking状)の感覚異常となつて現われ、時には片麻痺状も見られる。口周囲の感覚障害は、他覚的に感覚鈍麻が見られる。(2) 運動失調 感覚障害と共に出現頻度の高い症候であり、水俣病の運動失調は、小脳性運動失調であつて運動時の円滑さの障害、運動の大きさの測定障害、協調運動機能障害である。運動失調は、水呑み、煙草吹い、マッチ付け、釦掛け、字を書く時などの諸動作に現われて、これらの動作が拙劣であり、多くの場合に粗大な振戦を伴うことが多い。さらに、歩行、言語状態の仔細な観察によつても判断することができることが多く、アディアドコキネージス、指鼻試験、膝踵試験、脛叩き試験等によつて他覚的所見を得ることができる。(3) 求心性視野狭窄及び視野沈下、眼球運動異常等の眼症状 視野は、眼球を静止させて光を確認しうる広さの範囲であり、水俣病による求心性視野狭窄及び視野沈下は、大脳後頭葉鳥距野の神経細胞脱落等の障害に起因する。視野障害は、視野周辺から始まり周辺ほど著しい感度低下を来して傘型沈下を示す。水俣病における視野狭窄は、通例、求心性かつ両側性であり、水俣病の症候として高率に発現する。(4) 平衡機能障害 水俣病における平衡機能障害は、メチル水銀によつて小脳及び脳幹部の細胞を破壊されることによる障害に起因するものであり、運動失調が存する場合には、平衡機能障害が発現している場合が多く見られる。平衡機能は、視覚系、内耳前庭系及び内耳前庭系以外の諸知覚系を刺激受容器とし、眼運動系及び脊髄運動系を効果器管として中枢総合系の小脳及び脳幹が制御している。(5) 構音障害 小脳性の運動失調の一症候であり、緩徐な言語、爆発性言語、断綴性言語、不明瞭な言葉使い等が見られる。(6) 難聴 水俣病における聴力障害は、メチル水銀により大脳側頭葉横回の神経細胞脱落によつて惹起され、聴覚の振動音を電気信号に変換して神経に伝達する系が障害される感音性難聴の中後迷路性難聴である。これは、語音聴力検査等で確認することができる。水俣病に罹患して発生する難聴は、低音部より高音部が顕著である。(7) 歩行障害 水俣病における歩行障害は、小脳性運動失調の一症候である。歩行障害は、動揺性の酒酔状態における歩行に似ており急激な方向転換、停止などはできず、甚しい場合は、起立困難となる等の症状が発現する。(8) その他 味覚鈍麻、臭覚鈍麻、流涎、精神的異常性等々の多様な症状が見られる。脳卒中、高血圧、動脈硬化症等もメチル水銀に起因するものではないとにわかに否定することができない症状である。

(八)  水俣病における中枢性神経系の各障害に対応する自覚症状(愁訴)もまた多様であり、手足がしびれる、手足がじんじんする、指先が利かない。物を取り落す、手が震える、手が思うように動かない、手足に力が入り難い、手の力が弱い、釦掛けがし難い、字が思うように書けない、躓き易い、鴨居などに頭を打つ付け易い、疲れ易い、体がだるい、根気がない、仕事が永続きしない、頭重、頭痛に悩まされる、眠れない、目眩がする、目が疲れ易い、回りの物が見えない、遠くの物がよく見えない、物が二重に見える、音が聞こえない、耳鳴りがする、言葉がはつきりしない、言葉が出難い、体の筋肉がピクピクする、匂いが分らない、味が分らない、物忘れをする、気の遠くなる発作がある、カラス曲りになる等々多種多様である。

以上の事実が認められ、〈証拠〉中右認定に反する部分は、前顕その余の証拠に対比して採用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

4水俣病罹患の有無の判断について

被告らは、水俣病罹患の有無の判断につき、(一) 汚染された魚介類の経口摂取によりメチル水銀が体内に蓄積された事実の存否のほか、(二) メチル水銀中毒症に起因するものと思われる症候がいずれも水俣病にのみ特有の症候ではなく他の疾患によつても同一症状が発現する可能性があるから、水俣病に特徴的に出現する症候の組合わせを設定し、その組合わせに該当する症候の存否を原則として必要とすべきである旨の主張をするので、以下検討する。

水俣病認定判断の基準については、昭和四六年八月七日付環境庁事務次官通知及び昭和五二年七月一日付環境庁企画調整局環境保健部長通知が存在することは、当事者間に争いがない。

前記事実、前記各証拠(但し、後記採用しない部分を除く。)を総合すると次の事実が認められる。

水俣病に発現する各症状の中、四肢末梢性及び口周囲の感覚障害、運動失調、求心性視野狭窄、視野沈下、構音障害、難聴等は、水俣病に特徴的な症状ではあるが、右の特徴的な症状を含む水俣病の示す各症状はいずれも他の疾病によつても発現する可能性のあるものであつて、水俣病にのみ発現する特有の症状ではない。

しかしながら、水俣病は、チッソなる一企業が長期かつ多量に猛毒なメチル水銀を含む工場廃水を内海である不知火海に排出し、食物連鎖により濃縮したメチル水銀によつて汚染された魚介類を、広域の沿岸に定住する夥しい住民が、相当期間にわたつて食べ続けた結果、メチル水銀が経口摂取によつて人体内に蓄積し、主に脳、末端の神経細胞が破壊されて罹患する中毒性疾患であつて、その症状も急性、慢性、不全型と多種多様である、従つて、汚染海域沿岸の住民の疾病が、水俣病に発現する多様な症状のいずれかの症状と同一症状を示している場合、右疾病が水俣病か否かを判断するのに最も重要かつ決定的な要素は、(一) メチル水銀曝露の事実の存否であり、メチル水銀曝露の事実は、毛髪水銀を測定すれば端的にその根拠となり得るが(この点は、当事者間に争いがない。)、右測定結果を得ていない場合は、居住歴、生活歴、職歴及び家族、同僚、知人、付近住民等の水俣病罹患の有無などの事実調査による疫学的見地からメチル水銀曝露の事実の疫学的因果関係の存否を明らかにし、メチル水銀曝露の事実の疫学的因果関係が肯定されれば、次に、(二) メチル水銀の汚染海域の沿岸に居住する住民の発現する症状が、水俣病に発現する症状と同一症状であるか否かを判断し、同一症状である場合、専ら水俣病以外の疾病に基づくものであることが明らかである場合を除いて、水俣病に起因するものであることは否定できない。

以上の事実が認められ、〈証拠〉中右認定に反する部分は、前顕その余の証拠に対比して採用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

そうすると、水俣病か否かの判断には、被告らが主張する昭和五二年七月一日付環境庁企画調整局環境保健部長通知のような各種症候の組合わせを必要とする見解は狭きに失するものというべく、右組合わせを要件とすれば、単に神経精神科、内科、眼科、耳鼻咽喉科等の各専門分野において、疫学的因果関係を軽視若しくは無視した各単科的医学的判断が示される傾向を招来し、疫学的因果関係の存否との有機性のない単科的医学的見解を無機的に集合したに過ぎないような結論を導き易い弊害が懸念され、さらに、右組合わせに含まれる特徴的症状を示さない慢性型若しくは不全型の水俣病に罹患しているか否かの判断をするのは、極めて困難とならざるをえない。

従つて、被告らの右主張は、失当であつて採用することはできない。

三次に、原告渕上、同御手洗、松男及び愛子に対する本件処分が適法か否かについて以下検討する。

1松男について

(一)  松男には、右側顔面、右上肢の痛覚障害、右下肢の触痛覚障害、左上肢の触覚障害、左下肢の触痛覚障害の各感覚障害、右眼の視野沈下及び内耳性難聴が存在した事実及び昭和四七年一一月に首から下部左側麻痺が発現した事実は、当事者間に争いがない。

〈証拠〉(但し、〈証拠〉中後記採用しない部分を除く。)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) メチル水銀曝露の疫学的因果関係

Ⅰ 家族歴

松男は、父 茂八郎、母 シメとの間に明治三八年四月一三日、熊本県天草郡富岡町で出生し、昭和一五年に妻 ワカが子宮癌で死亡したので、昭和一七年、原告荒木マキと再婚し、松男と同原告との間に三人の男子が出生した。母 シメは昭和二六年、父 茂八郎は昭和三二年に各死亡し、両名とも晩年は余り体が動かず、その病因は不明であつたが、遺伝的疾患は存在しなかつた。

Ⅱ 職業歴

松男は、高等小学校卒業後、長崎で自転車屋や博多で菓子屋の見習をしていたが、大正一二年に水俣市丸島に転居し、チッソの水光社で自転車の修理工をし、その後、菓子屋を経て昭和二年、当時二二歳頃から鳶職、次いで、昭和二八年頃から独立して建設工事の下請を始め約二〇人の従業員を使用して水俣市内のアパートや出水市内の小、中学校等の建設工事の請負業をする傍ら、昭和二九年頃から昭和三一年頃まで水俣市茂道に居住する二女 幸子の夫の漁師 佐藤巽のカシ網漁を手伝い、昭和三五年から昭和四五年まで失業対策事業の日雇いとして稼働した。

Ⅲ メチル水銀曝露歴

松男は、魚介類が大好物であり、水俣病患者最多発地域の漁村部落の一つである水俣市茂道の漁師 佐藤武康(後に石山と改姓、なお同人は妻と共に水俣病認定患者である。)から昭和二二年頃以降、さらに、同じ茂道の漁師の前記佐藤巽から昭和二四、五年以降少くとも昭和三五年頃まで水俣湾付近漁場で捕れたボラ、コチ、クツゾコ、タコ、イカ、カニ、ナマコ、カキ等の魚介類を約一〇年間にわたり頻繁に貰つて常食とし毎日のように多食していた。松男も機会ある毎に居住地近くの水俣川河口付近に家族と共に出て浜辺でアサリ、ビナ等を採取して食べ続けていた。

Ⅳ 親族、近隣者等の水俣病罹患の状況

松男の妻 原告荒木は、水俣病の認定申請中である。前記佐藤武康と妻は共に水俣病認定患者であり、佐藤巽と妻 幸子は水俣病の認定申請中であり、巽の兄 佐藤武春と妻は共に水俣病認定患者である。なお、茂道部落は、メチル水銀による被害が最もひどい地域の一つであつて、殆ど軒並に水俣病認定患者を出している。

(2) 健康障害の存在

Ⅰ 発病及び自覚症状

松男は、元来、頑健であつたが昭和三二年頃から身体が不調になり、歩き難い、躓き易いとか、鳶の仕事をしていて高所に登れない、手足が思うようにならない、身体全体が疲れ易く頑張りが利かない等の症状を訴えるようになり、その頃から手足のひきつりやカラス曲りが発現し、昭和三七年頃には、達筆であつたにも拘らず手が震えて字が書けなくなり、かつ、右足を引きずるようになつた。さらに、松男は、昭和四七年一一月一四日、左半身に麻痺が生じて涎を出し、不明瞭になつていた言葉も一段と分り難くなり、寝たきりの状態となつたが、昭和五〇年頃から少し歩けるようになつた。その頃の松男の自覚症状は、イ 頭部の左右両側のしびれ(それまでは頭部右側のみであつた。)、口周囲のしびれ、身体の首から下の左右両側のしびれ、首から下では左側及び四肢末端に強いしびれ、ロ 左右両上肢(特に左側)が思うように動かない、ハ 手が震える、ニ カラス曲り、ホ 目がかすんで物が見え難い、ヘ 臭が全く分らず、味も殆ど分らない、ト しやべり難い、チ 首が重い、リ 手に力が入らない、ヌ 耳が聞こえ難い、ル 物忘れをする、ヲ 頭重、頭痛、ワ 食物が喉に支える、カ 涎が出る等であり、死亡直前には、歩行不能となり、昭和五四年一月八日、心臓麻痺を起して死亡した。なお、松男の飼猫は、昭和四二年三月頃、二匹居たがいずれも狂死した。

Ⅱ 臨床所見(他覚的所見)

他覚的所見としては、松男には、イ 感覚障害が認められる。昭和四八年一月の石津診断では、左側により著明であるが左右両側性の錐体路症状及び全身性の知覚鈍麻があり、知覚障害は躯幹部に比して四肢末梢部に著明であり、四肢に末梢性知覚障害を認めており、昭和四八年一〇月の松男の審査会資料では、昭和四七年一一月の発作によるものと思われる左半身不全麻痺、両側上下肢末端部に著明な感覚障害(触、痛覚の感覚障害)、顔面右半部の感覚障害を認め、昭和四九年二月の原田診断では、顔面右半部の知覚障害、身体の首から下部左側全体に強い知覚障害、右側上下肢に末梢性の知覚障害を認めている。松男の右感覚障害は、先ず四肢末梢に著明な感覚障害が発生した後に、右側頭部脳(延髄)血管系障害が発生し、神経が首の部分で交叉して左右反対側を走ることとなるため首から下部左側全体に感覚障害(不全麻痺)が発生し、結局、著明な四肢末梢系の感覚障害と右側頭部脳(延髄)血管系の障害による首から下部左側全体の不全麻痺とが合併した感覚障害を見るに至つている。これを図示すると次のとおりである。〈編注・左図参照〉

ロ 運動失調が認められる。石津診断では、左側に著明であるが左右両側の錐体路症状の存在することを認め、松男の審査会資料では、昭和四八年一〇月における検査でアジアドコキネージス及び指鼻試験において動作が拙劣であり、膝踵試験及び脛叩き試験等において障害が見られ(左足の膝踵試験及び脛叩き試験は不能)、昭和四九年二月における検査では、釦掛け、紐結びなどの手指の運動は拙劣、緩慢であり、左側に著明であるが両側性の粗大力低下が見られ、共同運動障害が見られる。ハ 平衡機能障害が認められる。松男の審査会資料では、昭和四八年一〇月の検査で両足起立は短時間しかできず、片足起立は左で不能、右ではやや困難であり、昭和四九年二月の検査では片足立ちが不能であつて、平衡機能障害が見られる。ニ 求心性視野狭窄、視野沈下が認められる。松男は、幼時に左眼が失明しており、松男の審査会資料の昭和四八年一〇月の検査では、右眼に初発老人性白内障及び網膜動脈硬化症並びに軽度の視野沈下が見られ、眼球運動も異常性が見られる。昭和四九年二月の検査では、右眼に白内障が認められ、かつ、視野狭窄の疑いがある旨の所見となつている。ホ 聴力障害が認められる。松男の審査会資料の昭和四八年一一月の検査では、内耳性難聴が認められる。ヘ その他、構音障害、知能障害、高血圧等の症候の所見がある。なお、松男の審査会資料では、第五、第六頸椎に骨棘形成、椎間狭小、椎間孔やや狭小等の所見も見られるが、頸椎の右程度の変性では、感覚障害、脱力等を必ずしも招来するものとはいえず、かつ、松男が右半身不全麻痺となつた所見はない。

右他覚的所見の中、四肢末梢系の感覚障害、運動失調、構音障害、視野狭窄及び沈下、内耳性難聴等はメチル水銀中毒疾患の水俣病に特徴的に発現する症候であり、知能障害、脳(延髄)血管系障害、高血圧等も水俣病患者に見られる症候である。

以上の事実が認められ、〈証拠〉中右認定に反する部分は、前顕その余の証拠に対比して採用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(二)  被告熊本県知事は、松男の感覚障害が左右不対称であり、顔面右半部、右手の痛覚障害、右下肢の触痛覚障害、右側軽度の共同運動障害は、昭和三七年頃に発現した右側片麻痺、左手の触覚障害、左下肢の触痛覚障害、左側半身の脱力及び高度の共同運動障害等は昭和四七年に発現した左側片麻痺に起因する各後遺症であつていずれも脳血管障害に起因し、共同運動障害は四肢の脱力によるものであつて運動失調によるものではなく、右眼の視野沈下は、白内障に起因するものであつて水俣病に起因するものではない旨の主張をするが、〈証拠〉中右主張に沿う部分は、前顕その余の証拠に対比して採用することができず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

かえつて、前記事実、前顕証拠(但し、〈証拠〉中後記採用しない部分を除く。)を総合すれば、松男の上、下肢の感覚障害は、脳血管障害によるものとは別に両側性かつ末梢系の感覚障害があり、脳血管障害自体もメチル水銀の影響によるものではないとはいえないこと、共同運動障害も四肢の脱力による見かけ上のものではなく運動失調によるものであること、松男の白内障は老人性であつて、かつ、眼底動脈硬化が判別できる位の軽度であつて、松男の視野沈下のすべてを白内障に起因するものとまではいえないこと、水俣病患者の感覚障害の発現態様は、必ずしも両側性ではなく、片側に強く他方に弱く発現することもあることが認められ、〈証拠〉中右認定に反する部分は、前顕その余の証拠に対比して採用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

従つて、被告熊本県知事の右主張は理由がない。

(三)  以上によれば、松男は、被指定地域の最多汚染地区においてメチル水銀の長期かつ多量の曝露を受けた事実があり、かつ、健康障害の大部分の症状が、その地域の疾病である水俣病の症状に一致しており、昭和三二年頃には、水俣病に罹患して諸症状が発現し、漸次症状が拡大して悪化し、遂に重篤状態に陥つて死亡したことは明らかである。

そうすると、松男の検診所見及び疫学的調査結果を総合判断し、松男が水俣病に罹患していないとする被告熊本県知事の主張は理由がなく、松男の認定申請を棄却した同被告の処分は取消しを免れない。

2原告渕上について

(一)  原告渕上には、両側性視野沈下が存在する事実は、当事者間に争いがない。

〈証拠〉、弁論の全趣旨により成立を認める〈証拠〉(但し、〈証拠〉中後記採用しない部分を除く。)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) メチル水銀曝露の疫学的因果関係

Ⅰ 家族歴

原告渕上は、父 江口政市、母 岩坂モヤとの間に昭和一六年一一月二日、水俣市湯堂で出生し、昭和四一年六月、二四歳で渕上賢治と婚姻し、賢治と原告渕上との間には、昭和四二年五月一〇日 長女 マリ、昭和四四年八月一七日 二女 恵子、昭和四六年九月一八日 長男 竜二が各出生した。

Ⅱ 職業歴

原告渕上は、昭和三二年三月 袋中学校卒業後、愛知県瀬戸市の陶器製造業を営む片山商店に就職したが、約一年四か月で同商店を辞めて湯堂の母の実家に戻り、その後、道路工事人夫として稼働し、昭和三四年から同四〇年一一月まで西村真珠養殖の真珠貝養殖の手伝いをし、昭和四一年一一月に退職した。

Ⅲ メチル水銀曝露歴

原告渕上は、昭和一九年の三歳頃まで漁業を営む父母と水俣病最多発地域の一つである水俣市湯堂に居住し、その後、一時期湯堂を離れたが、昭和二七年頃から昭和三二年三月まで、昭和三三年七月頃から昭和四一年六月まで、さらに、昭和四二年後半から昭和五一年頃まで湯堂の母の実家に居住して水俣湾付近で捕れるボラ、タチ、コノシロ、ガラカブ、ナマコ、タコ、アサリ等の魚介類を多食した。母方の祖父 岩坂増太郎は、漁師で岩坂若松からイワシ網一統を委かされて網子を使用し、水俣湾付近で漁をしていた。母方の祖母 ワキ、母の弟 均、母及び兄 一行も増太郎の漁業の手伝いをしていた。原告渕上は、魚介類が大好物であつた。米が乏しいこともあり、網から引き揚げられた魚介類を主食代りに生で食べたり煮たり焼いたりして朝、昼、晩、毎日腹一杯食べ、貝類は、カキ、アサリ、ビナ、黒貝等を食べ続けた。昭和三四年から稼働した西村真珠養殖の真珠養殖場は、水俣湾外の恋路島等にあり、その仕事は単純作業で暇が多かつたため、浜で貝採りをしたり魚釣りをして豊富に捕れた魚介類を多食し、さらに、真珠を採取した後の母貝の肉を貰い受けて多食した。また、昭和三六年頃には、約一年間、湯堂の波止工事に従事した潜水夫が増太郎方に寄宿し、毎日のようにナマコ、タコ等を捕つて持ち帰つたので原告渕上の家族も一緒に食べた。なお、湯堂では、昭和二七年頃に猫が狂い出し、きりきり舞いをしたり、突然走り出して物に突き当つたり、海に飛び込んだりする発作に襲われ、昭和三〇年頃には部落から猫の姿が全く見えなくなり死に絶えた。増太郎方では飼猫は居らなかつたが、常時、七、八匹の猫が徘回して増太郎の台所の残飯を食べたり、製造中の煮干しを食べたりしていたが、皆居なくなり姿が見えなくなつた。

Ⅳ 親族、近隣者等の水俣病罹患の状況

父 政市は、水俣市から約三〇Km北方の不知火海に面した田浦町の地引き網、手ぐり網の網元の生れで漁師であつたが、原告渕上の小学校低学年の頃から健康障害が発現して漁に出られなくなり、その後、水俣病の認定を受けた。母 モヤ及び兄 一行、祖父 増太郎も水俣病認定患者である。岩坂一族は湯堂に古くから定着している子孫であり、血縁関係者が多く、漁業で生計を立て水俣湾付近で捕れる魚介類を多食していたため水俣病に罹患した者が非常に多い。増太郎は、生来頑健で精力的に働いていたが、突然手足の運動障害、言語障害、嚥下障害等が発現してき苦しみ爾来全く仕事ができなくなつた。祖母 ワキは、原告渕上の母 モヤと同様症状が発現し昭和二七年九月二四日、六一歳で死亡し、叔父 均は増太郎に似た症状が発現して昭和二七年二月二一日、二七歳の若さで死亡した。原告渕上の夫 賢治は、水俣病の認定申請をしており、長女 マリは、原告渕上に似た健康障害に苦しんでいる。近隣の縁者等には、胎児性水俣病患者の岩坂マリ、スエ子、田中敏昌、岩坂良子、坂本しのぶ等が出現し、原告渕上の小、中学校の頃には、近隣の崎田タカ子、松田クミ子、富次、坂本タカエ、松永久美子、清子等に水俣病の症状が発現した。西村真珠養殖の仕事仲間では、中本マサエ、荒木田ヨシエ、中本フサコ、古川ハルエ等が水俣病の認定を受けている。

(2) 健康障害の存在

Ⅰ 発病及び自覚症状

原告渕上は、小学校の頃から余り元気がなく、小学校五、六年頃から身体に力が入らなくなり、小学校高学年になると頭痛や両腕のしびれが生じ、昭和二九年の中学一年当時には、常時、頭痛、肩凝り、腕の痛みやしびれを感じるようになり、身体が疲れ易くだるいため体育は苦手の課目であつた。中学校卒業後就職した瀬戸市内にある片山商店では、人形の絵付けで眉毛等の細い部分は上手に書けず、大雑把な部分しか書けなかつた。その頃には、頭痛も益々ひどくなり、手のしびれも続いており、止むなく仕事を休んで病院通いをしていた。昭和三四年、真珠養殖の仕事をする頃からは、肩、腕に力が入らずしびれて動かないようになり、仕事をしばしば中断してその回復を待つようになつた。原告渕上は、昭和四六年九月一八日に長男 竜二を生んでからは、体の具合が一段と悪くなり、貧血と疲れもあつて足がふらつき地面に吸い込まれるような不快感に常時襲われるようになつた。昭和四七年二月のある夜半に目覚めた時には、右半身がしびれており、爾来左側より右側の具合が悪い。原告渕上の現在における自覚症状は、イ 肩から腕、手指及び腰から下の下半身の痛み、ロ 腕から手指及び腰から下の下半身のしびれ、ハ 腰の脱力感及びだるい感じ、ニ 口がしびれて話しがうまくできない、ホ 筋肉がピクピクする、ヘ 手足の指のカラス曲り、ト 仕事中手から力が脱けて利かなくなる、チ 転び易く歩行困難、リ 頭の中がモシャモシャしてイライラする、ヌ 耳鳴りがして耳の中が詰まつているような異常感がする。ル 目がかすむ、ヲ 味覚が鈍つている、ワ 手が震える、カ 釦付け等の細い針仕事ができない、ヨ 言葉がしやべり難い、タ 疲れ易く常にだるい、レ 気の遠くなるような発作に襲われる、ソ 物忘れをする、ツ 頭痛、頭重に悩まされる、ネ 目眩がする等である。

Ⅱ 臨床所見(他覚的所見)

他覚的所見としては、原告渕上には、イ 感覚障害が認められる。白川診断及び阪南中央病院医師 村田三郎の鑑定(以下「村田鑑定」という。)では、四肢末梢系の感覚障害、口周囲の感覚障害を認めている。ロ 運動失調が認められる。村田鑑定では昭和五六年五月の検査で片足立ち閉眼不安定、指鼻試験等でディスメトリー、同年一二月における検査で継足直立動揺(左)、片足立ちは左右とも閉眼不安定との結果である。年令的に若いのに運動が非常にのろくてまずい等の所見(証人原田正純の証言)もあり、原告渕上には軽度の運動失調がある。ハ 視野沈下、眼球運動の異常が認められる(視野沈下が存在する事実は当事者間に争いがない。)昭和五二年一二月二八日にした白川診断では、原告渕上には、滑動性追従運動が階段状である眼球運動異常が認められ、原告渕上の審査会資料では視野沈下、村田鑑定では視野沈下、視野に虫食い様の暗点を認め、間引き脱落現象は、高血圧性眼底、糖尿病、網膜色素変性症などの他疾患も認められないから水俣病の症候である旨判断している。ニ 聴力障害が認められる。樺島診断は、難聴を認め、村田鑑定は、昭和五六年五月の検査で五〇ないし六〇dbの感音性難聴を認め、慢性中耳炎、騒音障害の既往症もないと診断している。ホ その他 知能、情意、性格障害、疲労状、大儀そう等の所見も認められる。

右の他覚的所見の中、四肢末梢系の感覚障害、口周囲の感覚障害、運動失調、視野沈下、感音性難聴は、メチル水銀中毒疾患の水俣病に特徴的に発現する症候であり、知能障害等も水俣病患者に発現する症候である。

以上の事実が認められ、〈証拠〉中右認定に反する部分は、前顕その余の証拠に対比して採用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(二)  被告熊本県知事は、原告渕上が、神経内科学的には正常であつて、特記すべき感覚障害はなく運動機能も正常であり、耳鼻咽喉科学的にも異常が認められない等の事由により、原告渕上の症状は水俣病の症状ではない旨の主張をするが、〈証拠〉中右主張に沿う部分は、前記事実、前顕証拠に対比して採用することができず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

従つて、被告熊本県知事の右主張は理由がない。

(三)  以上によれば、原告渕上は、被指定地域の最多汚染地区においてメチル水銀の長期かつ多量の曝露を受けた事実があり、かつ、健康障害の大部分の症状がその地域における指定疾病である水俣病の症状に一致しており、昭和二八年頃には水俣病に罹患して諸症状が発現し、漸次症状が拡大し悪化していつたことは明らかである。

そうすると、原告渕上の検診所見及び疫学的調査結果を総合判断し、原告渕上が水俣病に罹患していないとする被告熊本県知事の主張は理由がなく、原告渕上の認定申請を棄却した被告熊本県知事の処分は取消しを免れない。

3愛子について

(一)  愛子は、昭和四二年一〇月一九日に脳卒中の発作に襲われて右半身麻痺の障害が発現し、さらに、愛子には、両側性視野狭窄及び沈下並びに難聴が存在した事実は、当事者間に争いがない。

〈証拠〉(但し、〈証拠〉中後記採用しない部分を除く。)並びに弁論の全趣旨を総合すれば次の事実が認められる。

(1) メチル水銀曝露の疫学的因果関係の存在

Ⅰ 家族歴

愛子は、父 外囿源次、母 スエとの間に大正四年三月二二日、鹿児島県薩摩郡薩摩町求名狩宿で出生し、昭和一三年に二三歳で原告山内正人と結婚し、原告山内正人と愛子との間に昭和一五年六月二八日、長女 一子、昭和一八年一月一日、二女 ヤスエ、昭和二〇年六月五日、三女 光子、昭和二二年一一月一三日、四女 信子、昭和二五年一〇月三一日、五女 八重子が各出生した。源次は昭和一七年一月三〇日に腹膜炎、スエは昭和五三年一一月一日に老衰で各死亡した。

Ⅱ 職業歴

愛子は、生来頑健であり、尋常小学校卒業後農業に従事し働き者で農作業に励げみ、鍬使いも左右どちらの手に持ち換えても上手にできるほどになり、結婚後の昭和一三年頃から昭和二〇年頃までは、馬車で材木等の運搬業を営む原告山内正人の手伝いをし、その後は、後記健康障害が発現し身体が思うように動かなくなつた昭和三三年頃まで農作業をし、浜辺で貝採り等をしていた。

Ⅲ メチル水銀曝露歴

愛子は、昭和二〇年から終生、水俣病最多発生地区の一つである水俣湾に近い漁師部落の茂道に隣接する水俣市神ノ川に居住し、魚介類が大好物であつたから水俣湾付近で捕れる魚介類を人一倍多食した。殊に昭和二〇年頃から昭和四五年頃までは、水俣湾付近で捕れるボラ、タチ、コノシロ、タレソ、アジ等の魚を茂道の佐藤栄一郎から頻繁に貰い受けたり、茂道の魚介類行商人の梅野キヨから買つたり貰つたりし、また、すぐ近くの出水市切通に住み一本釣りの漁師であつた二女 ヤスエの夫が捕れた魚を始終届けてくれたり、愛子も身体が比較的良く動いている間は、すぐ近くの神ノ川、茂道の浜辺に暇さえあれば貝採りに行きビナ、カキ、マカリ、ナマコ等を背負籠に一杯採取して持ち帰る等して魚介類を毎日三度三度腹一杯食べていた。昭和三四年頃には、愛子宅の猫が狂死し、その後、昭和三七年頃までに貰い受けた猫が次々に狂死し、その数は五、六匹に及んだ。

Ⅳ 親族、近隣者等の水俣病罹患の状況

愛子の夫 原告山内正人は水俣病認定患者であり、三女 光子は水俣病認定申請中であるが保留扱いにされている。右佐藤栄一郎及び梅野キヨも水俣病認定患者である。なお、原告山内正人と愛子間に出生した五人の子供らは、全員、頭痛、しびれ、眼が悪い、貧血等の健康障害に悩まされている。なお、近隣には多数の水俣病認定患者がいる。

(2) 健康障害の存在

Ⅰ 発病及び自覚症状

愛子は、生来非常に頑健で体格も良く過酷な農作業を手際良くこなし、また、体力もあり四Kmほどの山道を背中一杯に薪を背負つて往復するほどの働き者であつたが、昭和三三年頃から手足のしびれや足のひきつけ、頭痛、つまづきなどを起すようになつて身体が悪くなり、農作業や家事仕事も思うようにできなくなつた。昭和三四年頃からは病院通いが頻繁になり、昭和四二年頃まで出水市米の津の池上医院、続いて、水俣市袋町の市川医院に入通院を繰り返していたが効果はなく、頭痛、首、腰の痛み、手足のしびれ、身体全体のだるさ、吐気等を始終訴えるようになり寝ていることが多く、吐物は涎みたいな物が多かつた。その頃、愛子は少し気分が良くなつたと言つて自宅の畑に出たが、急に鍬を放り出して跳ね回り手で土を掘り返したりする異常行動をした。昭和三七年頃には目がかすむようになり、昭和四〇年頃、血圧が高いと医師に言われ、昭和四一年頃には口の周りがしびれて思うように動かなくなり、言葉がもつれてうまくしやべれなくなつた。耳も余り聞こえなくなつていた。足も不自由になり、つまづいたり、草履が脱げても自分では気が付かないようになり、冬期には、夜半、手足のひきつけやしびれで不眠となつていた。昭和四二年一〇月一九日、自宅で脳卒中の発作に襲われて(脳卒中の発作に襲われた事実は当事者間に争いがない。)涎を一杯流しながら倒れ、その後、約二週間、意識不明が続き、右半身麻痺となつていた。言葉もしやべれなくなつていたが、意識ははつきりしており、語りかける言葉や物も理解し、食物を食べさせて「おいしい?」と問えば「うーん」とうなずいて答えたり、否定するときには「あーん」と云つて首を横に振り、なにかを欲しいときには「わあわあわあ」というような発声で家人に気付かせたりして意思を疎通することはできる状態であつた。約一〇か月、水俣市立病院と同病院湯の児分院に入院して身体の機能回復訓練を受け、ようやく杖をついて歩けるまでに機能回復をしたが、右半身麻痺は残存し、痙攣も屡々発現したりして全身状態は悪くなり、昭和四七年七月には、用便を介助なしにすることが困難となつた。愛子は、昭和三四年頃から炊事、洗濯などの家事は殆どできなくなつており、昭和三四年頃、炊事、洗濯等の家事は三女の光子が殆ど一人でした。しかし、昼間は光子が学校へ行つているので、帰宅後すぐ夕食の仕度に取り掛れるよう水汲み等必要最少限のことは、愛子がしてくれていたが、間もなくそれすらできなくなつた。愛子は、辛棒強い性格で頭痛がしても口をゆがめて堪えているような人で、口は重かつたが面白い柔かな語り口で人付合いが良く、体格も良く物事をくよくよするような人物ではなかつたが、身体の具合が悪くなるにつれて、性格も次第に暗くなり、時にはヒステリー状態に陥つて急に泣き出したりするようになり、晩年には頭を上げることもなく、部屋の中で長い間俯いたまま涎を流していた。昭和四八年五月には、便所に行く途中で転倒してその後全く立てなくなり、全身痙攣に頻繁に襲われ、手足をバタバタさせて白眼を向き口を曲げて涎を垂らしながら苦しがり、見るも凄絶な状態となつて暴れたので、その発作の起つている一〇分から二〇分位の間は、大人四人が総掛りで押え付けたり、縛り付けたりしなければならなかつた。昭和五二年になると便意も分らなくなり、強烈な全身痙攣に絶えず襲われながら翌昭和五三年一月一六日、岡部病院で非業の死を遂げた。

Ⅱ 臨床所見(他覚的所見)

他覚的所見としては、愛子には、イ 感覚障害(知覚障害)が認められる。名和診断では、昭和四八年二月一三日、愛子の右半身及び左足末梢部の知覚障害があることを認める。舛井診断では、脳卒中後遺症によるとして右半身の知覚運動障害のあることを認め、かつ、左半身にも知覚障害が疑われると判断している。愛子は、昭和四二年一〇月一九日、脳卒中発作に襲われ、右半身麻痺の症状が発現しており、右半身の知覚障害は、脳卒中の後遺症と考えられる。愛子は、名和診断当時、全身状態は重篤で言葉を話すことはできない状態であつたが、精神機能は良好に保持されており、反覆動作を示すなどにより簡単な質問をすると質問内容を理解して首肯くなどの動作で反応することはできる状態であつた。しかし、感覚障害の強弱、部位による比較等については、質問内容を理解させ応答を引き出すことが相当に困難な状態であつた。ロ 両側性の視野狭窄及び沈下が認められる。愛子には、両側性の視野狭窄が存在した事実は当事者間に争いがない。愛子の視野狭窄は、両側かつ求心性であり、愛子の審査会資料では、ゴールドマン視野計で測定した視野図によると、愛子の周辺視野は、中心から約四〇度にまで狭窄しており、4/Ⅰの指標で中心から約一〇度まで認識することができる程度であつて視野沈下も見られる。右測定結果には、左右両眼とも中心から約一七度鼻柱寄りのマリオット暗点が明確に確認されており、当時、愛子は、視野測定に際し十分応答しうることができたものと考えられ、右視野測定結果は正確なものであつたと考えられる。ハ 聴力障害が認められる。愛子が難聴であつたことは当事者間に争いがない。名和診断では、中枢性の聴力障害であるとし、右側は聴力を殆ど喪失しており、左側が僅かに聴力を保存していると判断している。愛子の審査会資料では、聴力表によれば左右差は余りなく五〇〇hzで約三五db、四〇〇〇hzで約四五dbから五〇db、八〇〇〇hzで約七〇dbから八〇dbの聴力の損失があり、高音部に強い難聴を認めている。ニ 構音障害が認められる。名和診断では、構音障害()を認めている。愛子は、昭和四二年一〇月一九日の脳卒中により自ら話す言語能力を殆ど喪失したが、対話者の言語は相当程度理解することができる状態であつた。愛子の右の症状は、それに至る構音障害の経緯を総合すると脳卒中に起因する部分があるとしても、主として小脳障害に起因する構音障害が発現しているものと考えるのが合理的である。ホ 知能障害、情意障害が認められる。名和診断では、自閉的、無表情を認めている。ヘ 脳血管障害が認められる。愛子は、長期かつ多量のメチル水銀の曝露を受けており、メチル水銀が脳血管系に対して影響を及ぼさなかつたものとはいえず、昭和四二年一〇月一九日の脳卒中の発作は、メチル水銀の影響によるものではないとはいえない。

右他覚的所見の中、特に求心性視野狭窄、難聴、構音障害は、メチル水銀中毒疾患の水俣病に特徴的に発現する症候であり、知能障害、情意障害、脳卒中も水俣病患者に発現することのある症候である。

以上の事実が認められ、〈証拠〉中右認定に反する部分は前顕その余の証拠に対比して採用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(二)  被告熊本県知事は、愛子が、神経内科学的には、昭和四二年一〇月一九日に発症した脳血管障害(脳卒中)によつて右側片麻痺、全失語等が発生したもので運動失調はなく、眼科学的には、愛子の反応が不的確であつて検査結果は的確性を欠いており、視野狭窄及び沈下は網膜出血及び白内障が関与しているものであつて、耳鼻咽喉科学的には難聴の検査結果は不正確であつて資料価値が乏しい等の事由により、愛子の症状は水俣病の症状ではない旨の主張をするが、〈証拠〉中右主張に沿う部分は、前顕その余の証拠に対比して採用することができず、他に右主張を認めるに足りる証拠はない。

かえつて、前記事実、前顕証拠(但し、〈証拠〉中後記採用しない部分を除く。)を総合すれば、愛子は、昭和四二年一〇月一九日に脳卒中の発作に襲われる以前の昭和三三年頃から既に四肢末梢系の感覚障害が発現し、脳卒中自体についてもメチル水銀の影響によるものではないとはいえず、愛子の審査会資料では、昭和四九年一月八日の検査で愛子に網膜出血及び初発老人性白内障が存在する旨の所見があるが、網膜出血及び初発老人性白内障が存在したとしても、愛子の視野狭窄及び沈下が右他疾患のみによつて発現したものとは到底いえず、メチル水銀の影響によるものであることを全部否定することはできないこと、右検査は的確にされており、難聴の検査結果も数値が明示され、水俣病の特徴的症状である高音部に強い内耳性難聴を示す数値が明確に表示されていることから不的確な検査結果として一蹴すべきものではないことが認められ、〈証拠〉中右認定に反する部分は前顕その余の証拠に対比して採用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

従つて、被告熊本県知事の右主張は理由がない。

(三)  以上によれば、愛子は被指定地域の最多汚染地区においてメチル水銀の長期かつ多量の曝露を受けた事実があり、かつ、愛子に発現した健康障害の大部分の症状が、その地域の疾病である水俣病の症状に一致しており、昭和三三年頃には水俣病に罹患して諸症状が発現し、漸次症状が拡大して悪化し遂に重篤状態に陥つて死亡したことは明らかである。

そうすると、愛子の検診所見及び疫学的調査結果を総合判断し、愛子が水俣病に罹患していないとする被告熊本県知事の主張は理由がなく、愛子の認定申請を棄却した同被告の処分は取消しを免れない。

4原告御手洗について

(一)  原告御手洗には、右上下肢の感覚障害、両側性の視野狭窄及び内耳性難聴が存在する事実は、当事者間に争いがない。

〈証拠〉(但し、〈証拠〉中後記採用しない部分を除く。)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) メチル水銀曝露の疫学的因果関係の存在

Ⅰ 家族歴

原告御手洗は、父 御手洗万寿男、母 ミサヲの間に昭和一一年一月一五日、三男として大分県日田郡中津江村の鯛生金山で出生し、昭和三八年一〇月に山崎カチ子と婚姻し、原告御手洗とカチ子との間に三子が出生した。父 万寿男は、原告御手洗が生後八か月目に鉱山事故で死亡し、母ミサヲは、昭和二八年に子宮癌で死亡したが、父母には別段遺伝的疾患はなかつた。

Ⅱ 職業歴

原告御手洗は、昭和三七年の二六歳当時、約一か月半、福岡県内の洋服屋で仕立て見習いをし、その後、美術品の販売、靴の修理販売等転々職を変えた。

Ⅲ メチル水銀曝露歴

原告御手洗は、父 万寿男が事故死した後、母 ミサヲに連れられて鹿児島県阿久根市の父の実家に移り住み、昭和一八年頃まで水産物の加工及び卸元を営んでいた祖父 御手洗辰次郎、祖母 キノの許で養育されて魚介類を多食した。その後、昭和一九年から同二〇年の約二年間は、鹿児島県出水市にある母 ミサヲの実家で養育を受け、その後、昭和二六年 一五歳頃まで出水市米ノ津で割烹旅館を営んでいた母 ミサヲの許で養育され、屡々、阿久根の祖父 辰次郎の許に逗留していたが一年の大半は、割烹旅館で母と同居し、米ノ津の漁師 釜鶴松等から大量に仕入れた不知火海産の魚介類を毎日三度三度多食した。昭和二六年頃からは、割烹旅館を廃業した母 ミサヲと共に再び阿久根の祖父 辰次郎と同居を始め、辰次郎がその頃水俣市八幡の朝鮮人部落に住む朝鮮人の金子某から密造焼酎を仕入れて販売をしており、金子某は右密造焼酎の隠匿用に水俣湾付近で捕れた安いハモ、ボラ、タチウオ、グチ、イワシ等の魚を使用して辰次郎方に密造焼酎を一日置き位に届けて魚を全部置いて行つており、辰次郎が昭和二九年に死亡する数日前まで続いていた。辰次郎の家族は、その魚を多食し続けた。昭和二八年頃には、水俣湾内でクロダイ、スズキ等の魚が大量に死んで浮き上がつたり、海澡、貝類も著しく減少していた。釜鶴松は、原告御手洗と母 ミサヲが辰次郎と同居した後も、昭和三五年一〇月に劇症型水俣病で急死する一寸前まで屡々訪れて魚を届けてくれた。

Ⅳ 親族、近隣者等の水俣病罹患の状況

祖父 辰次郎は、昭和二八年三月、突然涎を流して激しい痙攣に襲われる等の水俣病急性劇症型患者の症状と同一症状に襲われ、約三日間、苦しんだ末に八二歳で死亡し、祖母 キノもその頃から歩行困難となつて病床に就くようになり、後に、発狂状態を呈しながら昭和三〇年に八二歳で死亡した。原告御手洗の縁辺には、阿久根在住の御手洗常吉が水俣病認定患者である。釜鶴松は、草相撲の横綱といわれた体格の持主であつたが、昭和三四年の夏に水俣病の症状が急激に発現し、翌昭和三五年二月に死亡した。釜は水俣病の認定を受けている。

(2) 健康障害の存在

Ⅰ 発病及び自覚症状

原告御手洗は、昭和一三年の二歳当時、急性前角灰白髄炎(小児麻痺、ポリオ)に罹患し、脊髄前角細胞を侵害されて両足の膝から下が麻痺して歩けなくなり、昭和一八年の七歳当時、右腕首骨骨髄炎に罹患して右腕の肘が外側に九〇度以上伸びなくなつたが、両手足の感覚は鈍つておらず、昭和二五年の一四歳頃には、将来の作曲家を志して毎日ギターの練習をして上手になり、水泳、櫓漕ぎ等もでき、昭和二九年の一八歳当時、阿久根の海で一五〇〇mを泳ぎ切り、毎日新聞に報道されたこともあり、またその頃、櫓を漕いで対岸の阿久根大島まで数回、一人で往復したこともある等頗る元気であつた。ところが、昭和三二年の二一歳頃から両手の指先に手袋をしたように感覚が鈍り、手が震えるようになつて、ギターの弦をしつかり押えることができなくなり、昭和三五年の二四歳頃には、頭痛、頭重、涎、舌のもつれ、左半身や右手のしびれ、だるさ等が出現し、臭いも分り難くなり、口が思うように動かなくなつた。昭和三七年六月頃には、左手に力が入らなくなり、右手が痛み始め、しびれているため物が握れなくなつたので、その頃していた洋服仕立見習いを辞めて同年八月、久留米国立病院整形外科に入院して右尺骨神経不全麻痺の診断を受けて右肘部の手術を受け、手術後右手や腕の痛みは取れたが、しびれ感は取れなかつた。昭和三八年一月には、右病院で二回にわたり両足の尖足矯正のためにアキレス腱の移植手術を受け、手術後足に装具を装着して松葉杖を使い歩けるようになつたが、続いている左半身のしびれや左上肢の脱力のために松葉杖による歩行もできなくなつた。昭和三九年の二八歳頃には、光りが目に弱く白いように見え、物忘れ、食物が嚥み下し難い、吐気等の症状も加わり、昭和三九年には原動機付車椅子の運転免許を受けて道を走つている際知人とすれ違つても気付かず、妻のカチ子からも声をかけても素通りすると後で文句を言われたりした。昭和四一年には商売に失敗して借金の返済に追われてノイローゼ状態となり、久留米の堀川精神病院に約二か月入院したが、なんらの治療もなく退院した。その後も、前記諸症状は続いており、原告御手洗の現在の自覚症状は、イ 左半身全体がしびれる、右半身は左ほどではないが知覚が鈍い、特に手足の先がしびれている、ロ 口周囲がしびれている、唇は熱い物に鈍感であり、舌がしびれている、ハ 味がよく分らない、ニ 臭いもよく分らない、ホ 常時頭重感に悩まされる、ヘ 物忘れがひどい、ト 耳が聞こえ難い等である。

Ⅱ 臨床所見(他覚的所見)

他覚的所見としては、イ 感覚障害が認められる。原告御手洗の審査会資料では、昭和四八年一月一九日の検査で首から下の左半身知覚鈍麻を認め、昭和四八年五月二五日の検査で顔面上部を除く顔面の感覚障害、首から下の左半身知覚鈍麻、右上、下肢末端部の感覚障害を認め、昭和四八年七月四日の検査では、顔面左側上部を除く顔面部全体の感覚障害、首から下の左半身知覚鈍麻、右側上肢、右側下肢から躯幹部に及ぶ各感覚障害を認める。原告御手洗の感覚障害は、左半身全体の感覚障害のほかに、右側が左側より強い顔面部の感覚障害及び健側である右側の上、下肢に末端系の感覚障害があることから、片麻痺状の左半身の感覚障害に四肢末梢系の感覚障害が併存し、感覚障害は頭部、躯幹部へと拡大悪化したものと認められる。これを図示すると次のとおりである。

先ず一つは、片麻痺状の左半身の感覚障害。

もう一つは、四肢末梢系のglobe and stocking型の感覚障害。

阪南中央病院医師三浦洋の昭和五七年五月二八日付の原告御手洗についての鑑定書(以下「三浦鑑定」という。)では、原告御手洗の右感覚障害につき同一判断をしており、さらに口周囲の感覚障害を認めている。ロ 運動失調が存在する可能性が強い。三浦鑑定では、原告御手洗は小児麻痺(ポリオ)による両下肢の膝から下の麻痺や四肢の脱力のため運動失調に関する検査不能の状態にあるが釦掛けがうまくできない、指示テストで陽性、眼球運動検査で衝動性追従運動障害が認められることから、小脳失調の存在する可能性が強いと判断している。ハ 両側性の求心性視野狭窄、視野沈下及び眼球運動異常が認められる(この点当事者間に争いがない。)。原告御手洗の審査会資料では、昭和四八年三月一四日、同年六月一九日の各眼科学的検査所見でメチル水銀の影響によることは否定できないと判断している。杉田診断では、原告御手洗の求心性視野狭窄は、視力、眼底等になんらの異常も認められず、網膜色素変性症は認められないと判断している。三浦鑑定は、原告御手洗の両側性の求心性視野狭窄が原告御手洗の罹患した脊髄性麻痺性ポリオで起ることはありえないし、CTスキャンの結果等によつても脳腫瘍や脳血管障害がなく、視野狭窄の原因ではないと判断している。ニ 難聴が認められる。原告御手洗の難聴は内耳性(感音性)であり(この点当事者間に争いがない。)原告御手洗の審査会資料では、他疾患では説明がつかないとの判断をしたことが見られ、メチル水銀による影響を否定していない。ホ 四肢の筋萎縮及び脱力が認められる。四肢の筋萎縮及び脱力は水俣病患者に発現する症状であり、原告御手洗については、症状の出現時期、経緯から両上肢の筋萎縮と脱力がメチル水銀によるものであることが否定できず、下肢についてもポリオによる筋萎縮と脱力にメチル水銀による筋萎縮と脱力が相乗しているものとも考えられなくはない。

右の他覚的所見の中、四肢末梢系の感覚障害、口周囲の感覚障害、運動失調、両側性の求心性視野狭窄及び沈下、難聴は、メチル水銀中毒疾患の水俣病に特徴的に発現する症候であり、半身性の知覚障害、四肢の筋萎縮等も水俣病患者に発現する症候である。

以上の事実が認められ、〈証拠〉中右認定に反する部分は、前顕その余の証拠と対比して採用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(二)  被告鹿児島県知事は、原告御手洗の左半身の感覚障害、左右差のある四肢末梢系の感覚障害、脱力、筋萎縮は、肩胛腓腹筋型筋萎縮に起因し、視野狭窄は、急性灰白髄炎(ポリオ)若しくは昭和四一年に発生した意識障害発作に起因する可能性が大きく、原告御手洗の右各症状は水俣病に起因するものではない旨の主張をするが、〈証拠〉中右主張に沿う部分は、前顕その余の証拠に対比して採用することができず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

かえつて、前記事実、前顕証拠(但し、〈証拠〉中後記採用しない部分を除く。)を総合すれば、原告御手洗の各感覚障害、両上肢の筋萎縮及び脱力は、メチル水銀の影響によるものであることは否定できず、右症状の発現時期、態様、経緯等から稀な疾患である肩胛腓腹型筋萎縮症(肩胛下腿型筋萎縮症)の症状とは明らかに異なり、右病名の所見には、水俣病罹患の事実を殊更否定せんとする意図が窺われること、視野狭窄は、脊髄性麻痺型ポリオでは全く起りえず、原告御手洗が昭和四一年に数日間ノイローゼに陥つたことが認められるが、当時の精神状態は、脳の器質的障害によるものではなく、右の精神機能障害が、視野狭窄の原因とは全くなりえないことが認められ、〈証拠〉中右認定に反する部分は採用することができず、他に右主張を認めるに足りる証拠はない。

(三)  以上によれば、原告御手洗は、被指定地域である出水市においてメチル水銀の長期かつ多量の曝露を受けた事実があり、かつ、原告御手洗に発現した健康障害の相当部分の症状がその地域の疾病である水俣病の症状に一致しており、昭和三二年頃には水俣病に罹患して諸症状が発現し、漸次症状が拡大悪化していることが明らかである。

そうすると、原告御手洗の検診所見及び疫学的調査結果を総合判断し、原告御手洗が水俣病に罹患していないとする被告鹿児島県知事の主張は理由がなく、原告御手洗の認定申請を棄却した同被告の処分は取消しを免れない。

四  水俣病認定に関する処分手続について

水俣病認定に関する処分が、救済法三条一項又は補償法四条二項により認定を受けようとする者の申請に基づき審査会の意見を聴して行われることは、当事者間に争いがない。

なお、前顕証拠によれば、熊本県においては、申請書を受理した後に熊本県職員が検診センターにおいて、申請者の病歴、職歴、生活歴、魚介類入手方法、家族状況等の事実調査による疫学的調査、ゴールドマン量的視野計による求心性視野狭窄及び沈下の有無の視野検査、視標追跡眼球運動検査、自記オージオメーター等による難聴の鑑別を行う純音及び語音聴力検査、眼振の異常により平衡機能障害を調べる視運動性眼振検査等の予備調査をしていること、その後、熊本県の委嘱に係る神経内科、神経精神科、眼科、耳鼻咽喉科等の専門の医師が、各専門分野に属する各症候について検診を行い、申請者が死亡した場合は、遺族の意向によつて病理解剖検査を行い、右検査終了後、各科医師が検査資料に基づき審査会資料を作成して熊本県に提出し、被告熊本県知事が、右資料を添えて審査会に諮問し審査会の審査、答申を経て認定に関する処分を行つていること、鹿児島県においても同様手続によつて被告鹿児島県知事が認定に関する処分をしているものであることが認められ、右認定に反する証拠はない。

次に、本件における認定処分手続が適正かつ迅速に処理されているか否かについて以下検討する。

前記事実、前顕証拠(但し、後記採用しない部分を除く。)及び弁論の全趣旨を総合すれば、被告らは、原告渕上、同御手洗、松男及び愛子に対し、疫学調査を実施し、医学的検査として一般内科、神経内科、精神科、眼科、耳鼻咽喉科の各科にわたつて検査を実施しているが、右各科の検査は、原告御手洗につき審査会が保留扱いを二回反覆した後第三回目の検査で一般内科及び神経内科が複数回の検査をしたのみであつて、他は短時間に一回限りの検査であり、右検査結果では、原告渕上、同御手洗、松男及び愛子の各症候が的確に把握されているか疑わしいこと、他方、原告渕上、同御手洗、松男及び愛子の認定申請書添付の診断書に記載された各症候と、審査会の検査結果との比較照合による検討により齟齬する部分の解明は全くされていないこと、加えて、審査会の検査所見及び審査判定に際し最も重要な事実であるメチル水銀曝露の疫学的因果関係の存否を疫学調査結果によつて仔細に検討し、疫学的因果関係の存否を真正面に据えて正視し、これを十分に反映、参酌をしているとは到底いえず、原告渕上、同御手洗、松男及び愛子につき不十分な検査結果によつて把握した各症候を、単に医学的各科の専門的見地から既応歴や同一ないし同種症候を示すことがある他の疾患病名をもつて説明し、メチル水銀曝露の事実によるメチル水銀の影響があるか否かの有機的検討審査が十分にされないまま検査所見及び審査がされていること、審査会においては、水俣病像につきハンター・ラッセル症候群及びその組合わせといつた水俣病の慢性型、不全型を収容しえない狭隘な病像に固着する認定基準に固執した審査をし、しかも熊本県の審査会は、公害被害者認定審査会条例五条の定める多数決による決議によらずに全員一致の決議によつて水俣病罹患の有無を判定していること、被告らは、審査会の右審査、決議方法に対しこれを是正し救済法及び各条例に則した審査及び決議方法に改めるよう指導した形跡はないこと等が認められ、〈証拠〉中右認定に反する部分は、前顕その余の証拠に対比して採用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

そうすると、被告らの本件における認定手続は、迅速かつ確実に健康被害の救済を図る救済法の趣旨及び目的に反しているものというべく右の点が本件処分の取消原因となるか否かはとも角、被告らの右認定手続は違法かつ不当であり、救済法の趣旨及び目的に合致するよう早急に改めるべきである。

五よつて、原告らの請求は、いずれも理由があるからこれを認容すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官相良甲子彦 裁判官吉田京子 裁判官荒川英明)

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